カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.52 - 日々

僕にとって日々とはなんなんだろうな、と思う。現状のままでいいとは思っていない。うつ病になって働くことができずニートだ。障害年金をもらっているとは言えそれだけでは暮らしていけないし。現状を打開せねばならないと思ってはいる。小説制作が打開の鍵になると信じて書いてはいる。かと言って小説制作を仕事にするために勉強や修行をしているかというとそういうわけではない。書きたいときに書いて、書きたくないときには書かない。勉強したいときにはするけど、毎日やっているわけでもない。それは僕の性質を鑑みるに仕方ないことではある。やる気がないこと、気乗りのしないことはできないのだ。やりたくもないのに、じっと我慢して努力するということができない。それは高校大学と勉強が手に付かなかったことで証明されている。僕は勉強しようという気はあったが、勉強しようとすると不快に感じて手に付かない。多方仕事は熱心に取り組めた。バイトも仕事も周囲からの評価は高かった。僕の性質は偏っている。そうであるから日々気の向いたことしかしないのは理に適っている。最も効率がいいはずだ。だけど何か虚しさのようなものを感じる。もしも仕事をしていたら、一応のところ人の役に立つことをやって満足しているはずだ。仕事が人を安定させる。仕事のない現状では何か成果が上がらないと満足が得られないのかもしれない。そういう意味ではこのフリーライティングは一つの成果と言えるのだけど、ちょっと小さすぎる。小説作品がどんと仕上がるくらいじゃないとやった気がしない気がする。短編でも力を入れて書いたものが仕上がらないと成果として僕の心がカウントしないのだ。いつまで経ってもなかなか仕上がらない。現状は仕上げるように努力しているが、進みは遅い。成果が上がらない毎日だ。腐らずやらないといけないのだろう。虚しさに耐えてこそ成果が上がるのかもしれない。そういう定めなのか。つべこべ言わずにやるしかないのか。そうか。