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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

1時に起きた。気分が乗らない。濃い濃いコーヒーを飲んだ。すこしすっきりした。

キーボードの左クリックが昨日からおかしい。利きにくい。キーボードを交換するタイミングなんだろうか。お金ないんだけどなぁ。

近い過去を振り返って、自分がイキっていたな、と思う物事がある。格好悪いなぁ。どうしもて自分が、自分が、と前に出ようとしてしまう。自己行為定款が足りないのだろう。自己肯定感を高める方法として小さな成功を積み上げるとか言われる。確かに上がりそうだ。でも何か、根本的なところで間違えているような気がする。いや、でも凡人はそういう方法がいいのかもしれない。わからない。

小説制作をしている。op63は置いておいてop12のプロットをし始めた。僕が欲するもの、物語のテーマは「最強の主人公が困難を乗り越えることを楽しむ」というような概念だ。これを忘れていた。いや、むしろ意図的に脱却していたのだけど今朝は元に戻った。気分が乗っている。いい感じ。

ふと、僕はコンプレックスを持っていることにコンプレックスを感じていた。それは違う。コンプレックスを持っていてもいいじゃないか。許しが必要だ。コンプレックスを認めることでコンプレックスから解放されるのだ。

小説制作の続きをしていた。ファミマで買ってきたビーフジャーキーを食べてしまった。しゃぶっているのがベストなんだけど、かまずにいられない。ビーフジャーキーに付着しているコショウで汗が出た。僕が汗をかくのは顔だ。やっかいな性質だ。小説制作は少し進んで、水着回のプロットに入って終了した。水着でキャッキャ言ってるだけではダメなので何かしらストーリーを作らないといけない。

小説制作を始めて気分が上がっていたけどビーフジャーキーを食べ始めた頃から下がりだした気がする。ドラクエ3で王様がコショウを食べて眠くなっていたのは伊達じゃないのかなぁ。ググったらコショウは眠気を妨げるって書いてあった。どうなんだろう。コショウを食べて研究してみるのも面白いかもしれない。

扇風機の掃除をしないといけない。ホコリまみれで風があまり出ない。でも春が来て暖かくなってからかなぁ。寒いと何もしたくない。

情緒不安定と言うとイメージが違うけど、僕は気分の高ぶっているときと下がったときの差が大きいのだろうか。つい1時間前まではけっこう調子よかったのに今は眠いような感じがする。単に眠いだけかもしれないけど。

眠気覚ましのコーヒーを飲むための水をくみにいくのが面倒だ。というかもうすぐ朝食だ。朝食すれば体調がガラッと変わるから、コーヒーを飲むにしてもそれからだ。

午前中

朝食して苦しくはならなかった。ならなかったけどイマイチな気分だ。乗りが悪い。パソコンのモニタが遠く感じる。パソコンを操作するのに隔たりを感じる。

Prime Videoで「薬屋のひとりごと」を見た。終わった。24話だった。僕が書いている小説はアニメ化を見越して25話にしてある。24話がいいんだろうか。ソードアート・オンラインは25話だった。いよいよとなれば第13話に予定している水着回をカットすればいいのだけど。ちょっと気になるな。

なんとなく「人間食べるものは皆違うが尻からひり出すもんは同じだ」というセリフを考えていた。どこで使おうというのではないけど。考えてみると「最後はみんな一緒」ということなのかもしれない。生まれはいろいろあるが、死後は皆同じだ。人生の結果は同じということだろうか。どんなに羽振りのいい人生であっても、どんなに貧しい人生であっても、終わってしまえば向こうに持っていけるものはない。今が苦しくても、結果的には自分にとってなんでもないことなんだなぁ、と。まぁ死後の世界がどうなっているか誰も知らないのだけど。

気分はまあまあだ。でも小説制作する感じではない。プログラミングは僕にとって閉じた作業なのだけど、今は閉じたことはしたくない。ちょっとXでもやるか。

時間を割いてまで読みたい小説がない。十分に気に入った作品でないと時間がもったいない。Xしているほうが楽しいし有益だ。と、ここのところ気付いてきた。それでも面白い作品と出会いたくて読んでしまうけれど。絶望的ではある。でも真に絶望することは人間の機能として難しいんだと思う。→

→僕が自分で小説を書いているから他の作品が受け入れられないのかもしれない。自分が「これが正しい」と思って書いていることと相違があると受け入れられない。自分を否定することになるから。そんな気がしないでもない。

向上することが正しいのだと誰もが信じて疑わない。獣にだって「もっと上手くやろう」という意思があるようなので、向上心は種の存続に好影響なのだろう。しかし獣性を捨てて神にも触れんとする人間が、本能の一部を捨てることをかたくなに拒絶する必要もない。思考停止に陥ることをせず考え直してもいいだろう。→

→部活やサークルにはいたはずだ。突き詰めて向上しようとする人と、今を楽しめればいいという具合の人が。後者の心境も悪くはない。もちろんまったく向上心を持たないのは生命の危機や、社会不適合になってしまう。ただ、あまりこだわり過ぎないほうが幸せな場合もあるんじゃないだろうか。

Xしている。なんか気分が固まってきた。柔軟性が失われている。作業が単調で脳の働きが鈍っているのかもしれない。何か刺激を与えたらいいのだろう。クエン酸水でも飲むかな。もう11時前であまり有効ではないけど、クエン酸水で脱せる状態だと判明するなら得られるものは大きい。

クエン酸水を飲んだ結果「多少は改善された」という気がする。その後で頭部うっ血法をして頭をクリアしたらもう少しよくなった。でもこれは疲れているな。気分は晴れない。

午後

ラブコメでも読むか、と思い立って「義妹生活」を試読した。けっこうな分量のあるサンプルだったけど恋愛要素が出てこない。自分は何を読んでいるんだ?という疑問が浮かんだ。しかし他方では「恋愛小説とはどんなもの?」という僕の疑問に対する1つの答えでもあった。常にラブラブしてなくていんだー、という理解。後になってAmazonのページを見たら「恋愛生活小説」とのこと。ラブコメじゃないのか。というか普通の恋愛小説とは一線を画す企画なんだなーと理解した。へぇ。

小説制作の続き?をしていた。Xで「最後に明かされる伏線は最初に仕掛けてあると気持ちいい」というポストを見掛けて実践していた。なんかゴニョゴニョと考えて、最後の様子を最初に語らせることで実現した。ラピュタの「青き衣をまとい黄金の野に~」方式の応用だ。疲れた。

僕らはことごとく幸せを求めている。細かく言えば脳の興奮であるとか快感ということになるだろう。もう少し長期的な視点で見れば幸せを求めている。たとえ自分は不幸であるべきだと信じ込んで不幸の人生を歩んでいる人がいたとしても、「不幸であろう」という願望が生まれ、その願望を果たしたからには幸福を感じている。幸せという感覚は生命としての根源に帰依するものだろうから「自分は幸せを求めていない」と思っている人というのは勘違いしている。

夕方だ。今日がもうすぐ終わる。疲れた。今日も疲れた。何をしたでもないような気がするけど、小説制作をしているし疲労も溜まるのだろう。

総括

今日はそこそこだった。悪くない日だったけど、まあまあと言うには足りない感じがする。欲張りになっているだろうか。満足してないわけもないんだけどなぁ。もうちょっとが欲しい。