朝
5時すぎに起きた。ちょっと寝過ぎ。
朝食までの間にすることもなくぼーっとしていた。ぼーっと、ごそごそ。なんか貧乏揺すりにターボがかかって高速になっている。寝起きの不快感というのだろうか。
来年の年賀状、僕のプライベートのやつを書いてない。去年のから書いてないから3年分だ。愛想を尽かされるだろうか。寂しいけど仕方ない。なんでこんなに面倒なんだろう。昔は出せてたのに。
デート中に屁がしたくなったとして人気のない公園のトイレに入った場合、やっぱ音が外に聞こえたらまずいよな、というようなことを考えた。限られた状況ではあるけど、難しいな。でも体というのは不思議なもので、気持ちがたるんでいるときはよく出る屁も、緊張感のあるときはしたくならないんだよな。
午前中
父はあかぎれで痛いらしい。何事にも、解決策を提示しても拒否する父だから、慰めてほしいのだと思う。慰めてほしいのだろうけど、ニートの僕はただただ肩身が狭くて何も言えない立場だ。代わってやると言っても拒否されるだろう。炊事を僕から取り上げた父だから。父は苦労したいのだ。苦労している自分は必要な人間なのだと再認識したいのだろう。難しい。
小説制作をしていた。制作するというか、構想を想像してうろうろしていた。テキストエディタに何事か書き込んでいれば、何かやったという実感も持てるのだけど。そんな気にはならず、ぼんやりしていた。いや、うろうろ歩く分にはキリキリしていたけども。
タバコを買いにいった。自宅前ののどかな道を歩いていた。後ろから車が来るのが音でわかる。右手には空き地。いつもならそちらへ退避してやるのだけど、今日は雨水がたまっていて、車が通り過ぎるタイミングでは避けられない。残念だったな!と意地悪な気分になっていたのだけど、通り過ぎたのは初心者マークを付けて徐行する車だった。僕が水たまりに到達する前に立ち止まってでも避けていてやればよかったと思った。恥じた。この恥もそのうち忘れてしまうんだ。学べない人だ。
読書していた。「中世の裏社会」という本だ。中世ヨーロッパの、盗賊、乞食、同性愛者、異端者、ユダヤ人などについての話だ。序文を読んだだけなのだけど、読点「、」で文をつなげて長い文が書かれている。こうすると何を言っているのか理解しにくくなるんだけど、熱意や情熱みたいなものが伝わってくる。小説に活かせるといいなーと思う。下に1文だけ抜粋します。
知的分野においても、聖トマス・アクィナスの神の体系は、神による不可分の一つの世界に、見える世界と見えざる世界を押し込めることによって語られなければならないものは過不足なく語られているように見えたが、自然現象をもう一段階進めて研究しようとするドゥンス・スコトゥスやオッカムのような学者は、正統派のためを思えばこそ、純粋な自然、あえていえば科学的な知識と、神学つまり神の知識との二種類の知識があると宣言することが必要であることを見抜いていたのである。
中世の裏社会 ISBN4-409-51030-4 ppt15-16
午後
続きを読んでいた。どういう了見なのかはわからないけど、キリスト教の教会がやってきた裁判やなんかの話が続いている。裏社会というか無法者を理解するに当たって必要な知識なのかもしれない。でもなんだか思ってたんと違う感がある。しかし僕にしてはずいぶんな長い時間の読書になった。3時間だ。普段は読めない人間なので、これは大変なことだ。
小説制作の続きをちょっとした。想像しているだけではらちがあかない、となりテキストエディタで具体的な物事を書き出したりした。ちょっとだけ。どんな情報を提示しないといけないか、ということだ。主人公の職業がどうで、能力がどうで、世界観がどうなのか、といったこと。第1話なのでそういうのを最低でも示さないといけない。示せる物語にしないといけないので、そうすると話が絞られてくる。自然と作りやすくなるという寸法だ。
総括
今日はそこそこだった。読書がよくできたのでいい日ともとれるけど、さぁな、早朝の活動がなかった分は物足りないなぁ。感じとしてそこそこ。