カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - まあまあだった

1時半に起きた。30分くらい寝ぼけていた。

プログラミングをしていた。先日からやっているmdparse.jsだ。ようやく難しいところが正常に動作するようになった。難局を脱した安心感がある。だけどそれもつかの間。面倒な部分が壊れてしまっていて、面倒だし、なんか気に入らない書き方になっていたので一から書き直すことにした。これまでやっていたところはロジックの難しさだった。こんどのところは面倒な困難さがある。あまりスマートに書けない部分で、結局削除したのと同じような複雑なプログラムになるかもしれない。一難去ってまた一難。だけどこの調子でプログラミングばかりやっていると、そのうち嫌になってしまいそうなので今日はこれはやめにする。

午前中

自分の言動が変なものを呼び寄せていることに気づかない人がいる。その人は被害者的に振る舞って同情を誘う言葉を紡いでいた。僕は同情してしまい、つい気持ちわるいムーブをしてしまった。極力気持ちわるくならないよう注意したつもりだけど、たぶん気持ちわるかっただろう。その上で別の誰かと勘違いしたりしていつの間にかアカウントを消していた。結局のところ、この人の人生は常にそんなものなんだろう。人は何をするのも自由だけど、変なものを呼び寄せて嫌な思いをするのは自分なんだから注意しないとなぁ。あの人は自分の言動がそうなんだという自覚があるのだろうか。自覚があって悲劇を装うことで酔っているのかもしれないし、なんだか世の中は難しい。

筆まめを買った。これまで持っていたやつは15年近く前の古いものだ。だいたいは12年も使えば再購入するのがいいだろう。表面の干支のデザイン的にも、メーカーの収益的にも。今はお金がなくてタイミングが悪いけど仕方ない。リボが増えていく。ギガが増えるみたいな響きだ。

年賀状の準備をしていた。カメリア家として出す両親のやつだ。自分のは2通しかないから手書きにする。で、住所録を作ってプリント。絵柄を選んでプリント。後者でははがきサイズのコピー用紙が吸い上げられなくて何度もエラーになるなどプリントにまつわる面倒事に直面していた。プリントに関するトラブルは大嫌いだ。就業当時のプリンタのトラブルで苦労した気持ちを思い出すからだ。そうでなくてもトラブルでウザったいというのに。なんとか終えたけどはがきサイズのコピー用紙がなくなった。作るの面倒だけど金銭的なことを考えると作るしかないのかなぁ。と思ったけどやっぱ買った。50枚で460円。ま、まぁこのくらい……。

片付けや椅子の修理などいつもはやらないことをやった。軽作業だね。午後は小説制作がしたいな。本当はやらなきゃいけない他のことがあるんだけど。もう何週間も手を付けられずにいる。面倒臭い。お金の話に近いから気が重いというのもある。っていうか証券口座?の登録情報更新と可能なら口座の閉鎖だ。15年以上関わっていない。もう億劫でいけない。

ノベルスキー(SNS)で自己肯定感の話になった。「何はなくとも自分が好き」な理由を考えたりしていて、おかしなことになっているな、と思った。自分を好きな理由が必要だとしたら、その理由がなくなったときどうすればいいのだろう。究極の答えを求めて「存在しているから好き」という人もいたけど、周囲から邪険にされて存在が否定されるとダメになってしまう。本当なのは「ただ好き」なことだ。誰かを好きでいるのに理由が必要だろうか。パブロフの犬をご存じだろう。エサがもらえるからじゃない。ただ好きなんだ。という実践が常にできればいいのだけどね。

午後

毎日動画を見ようということにしているけど気が重い。学びを得ねば、という気負いが生まれてしまった。そもそもそんな気負いが生まれてしまうような心境で生きているのがいかん気がする。生き急いでいる。余裕がないね。何事かを成さねばならない、みたいな。ま、あまり突き詰めてもいかんしなぁ。このへんにしておくか。

小説制作をした。op58の本文執筆だ。1.6時間で109文字書いた。1時間あたり68文字。並の遅筆ではない。いつもはもう少し書けるんだけど、でも今回くらい考えながら書かないといい文章にならない気がする。というか今回のだって考えが足りていない。もっと気にすべきことがあるのに。一文一文が読者にどんな感情を与えられるか。その効果を意識して書かないと、と思う。心の動きがどう流れていくか、そういったことも。でも自分で感じたことがない、というか、誰かしらの作品を読んでいて自分の感情を意識したことがないからわからない。わからないというのはとても大変だ。難しくとも理由や解決方法がわかっていれば行動できるのに。

小説制作の速い小説家は大変な速度で書くらしい。1日に2万文字とか。1日に10時間も書くとしても1時間に2000文字。僕の30倍の速度だ。一心不乱に書いているのだろうか。もう理屈なんてなくて、思い付くままに書いたものがそのまま面白いのだろう。才能の壁は越えられないよ。僕は僕としてやっていくしかない。

人生は全てが運だ。才能を持って生まれてくるかどうか、いい教育をする親かどうか、いい家庭かどうか、いい友達ができるかどうか、いい教師に恵まれるかどうか……、そして努力する才能を持って生まれてそれが育まれるかどうか。全部が運だ。運というか、全てが運命で決まっている。抗うことはできない。抗っているとしたら抗う運命だったのだ。そんな理解をしているせいか、僕は今の快楽を求める。未来のためにやりたくもないことをやったりはできない。今やりたいと感じればこそ、未来に備えることもある。かといって、常にやりたいことがあるわけでもなし。僕は何をヤっているんだろう。なんにもわからないなぁ。

夕方までXやノベルスキーをやっていた。まぁ適当に楽しんだ。

総括

今日はまあまあだった。いくらか活動できたし、まぁ、まあまあだ。