カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 眠い日だった

0時半に起きた。眠い。眠気に抗って2時間過ごした。何をしたでもない。それから6時まで寝た。

午前中

寝て過ごした。眠くて仕方ない。

午後

ようやく眠気が覚めてきた。濃い濃いコーヒーを飲んですっきりした。しばらくノベルスキー(SNS)したりしていた。13時すぎから読書を始めた。ラノベだ。説明の多い作品でほとんど読み飛ばした。だいたいセリフだけ読んだ。

総括

今日は眠い日だった。ここのところ眠くていけない。エビリファイが増えたことで睡眠薬のニトラゼパムが異常に効くようになったのかもしれない。今夜はニトラゼパムを飲まないでおこうと思う。

もうちょっと何か書きたいけど今日は無理そう。眠くて元気が出ない。何もかにも面倒でいけない。少し眠気が覚めてきたけど、でも厳しい。さして何も思いつかない。面倒について書こうか。

面倒臭がりについて

僕は面倒臭がりだ。身の回りのことがまともにできない。両親はそういうところがしっかりしている。僕のことを世話のかかるダメな人間だと思っているだろう。でも待ってほしい。僕は面倒がりたくて面倒がっているのではない。面倒がりという性質を持っているだけだ。それはつまり寂しがりとか、暑がりとか、そういうのと同じだ。そのことを責める人はいない。その人の責任じゃないからだ。面倒がりもそうだ。本人に責任はない。責任の所在を強いて明確にするとしたら親だろう。そのように生み、そのように育てた責任がある。そういった点において、僕が両親から責められる理由はなく、どちらかといえば僕が両親を責める理由のみが存在する。だから理不尽だと感じているよ。親ってのはすべからく理不尽だ。

小説の個性

小説の個性の分け方にはいろいろあると思う。ここでは「ストーリーが次々と進むタイプ」と「事情説明で深く掘り下げるタイプ」について考えたい。前者と後者は相反するものだ。前者では掘り下げが少なく、後者ではストーリー進展が遅い。事情説明があるかないかで区別することができるだろう。事情説明とは「王太子が◯◯したのは◯◯だからだ。主人公は◯◯するはずだったが王太子の一件でできなかった。そもそも主人公が◯◯することになっていたのは王太子が言いだしたことだった」のようなもので、場合によってはこの事情説明が数ページに渡って記され、その間はストーリーが進まない。深掘りされているのだ。

僕は前者が好みだ。後者は苦手だ。僕の作品は当然前者のようなものになる。というか極端に事情説明が少ないだろうと思っている。それはつまり物語の重厚さがないということになるんじゃないかという気がしていて、マズいなと感じる。でも謎はちりばめてあるし大丈夫だろうという気もしている。よく分からない。