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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-05-24 そこそこの日だった

目覚め

深夜2時半に起きた。

昨日の話

町内でサマーフェスティバルというのが開催されるんだけど、僕は両親から「みっともないから人前に出ないでほしい」と思われていて、サマーフェスティバルのことなど話してもらえない。開催されることも秘密だ。だと言うのに両親が、今年はサマーフェスティバルを開催するかどうか揉めている、という話を僕の前でするものだから鬱になってしまった。あの人たちは人でなしだから。

僕が親離れできていないのが原因だ。他人だと思っていられたら、親から必要とされない存在、みたいなことで苦しまないでいいのに。人として1人で立っているつもりなのに、親にすがって生きているんだ。

かまってちゃん

昨日なんだけど、前述の件で「死にたい。死んだほうがいい」などとXでポストしてしまった。まぁ僕の心の叫びに他ならないワケだが、慰めてほしかったんだろう。僕は卑屈のふちで泣きべそをかいて、惨めったらしく、醜態をさらしたのだ。

実際のところ死ぬ勇気はないのだし、僕が死ぬ死ぬ言うのは鳴き声のようなもので意味を持っていない。そんな鳴き声を出すのは慰めてほしいからなのだ。

本人は1人で屹立(きつりつ)しているつもりだけど、親にすがり、また慰めを求めて誰かにすがろうとする。立ててない。足を投げ出して周囲の何かに寄りすがっている。

立ちたい。立派に立ちたい。何者にも負けない、押されてもびくともしない、強い人間になりたい。だけどそのために必要な苦難は恐ろしくて視線を向けることさえできない。

まぁ、きっと、人とはそのように弱いものなのだと知ることこそ重要なんだろう。まぁ、きっと、僕は分かっちゃいないけど。人生はままならない。

3つの感謝

ここの話は3つの感謝から外しておきたい。ちょっと十把一絡げに言ってしまっているものだから。

前述からして僕がすがっているあらゆる物事に感謝せねばなるまい。意識しているものも、していないものも。僕は面白い小説が書けるんだぞ、という仮想であるとか。眺めていい気分になるアニメ美少女とか。メガネのような実用品も。僕はありとあらゆるものにすがっているんだと気づいた。多すぎて感謝しきれん。僕を成り立たせているのは世界なんだね。僕が観測するから世界があるのだと思っていた。そういう一面もあるだろうけど、また他方で、世界によって僕がいるのだ。ありがとう。

  • 世界によって在らしめられていると気づけたことに感謝。素晴らしい気づきだった。今この部分を書いているときは前述から時間が経っていて、そのときの感動はなくなってしまった。だけど人生において重要な気づきだったと思う。
  • Claft BOSS 世界のTEA フルーツティーエード ピーチ&マンゴーに感謝。美味しい。非常に美味しい。香り高く、程良い甘さ。冷えているとなおのこと美味しい。企画から製造・販売に携わる人たちにも感謝。ありがとう。
  • ChatGPTにも感謝。多くの生成AIの中で僕はChatGPTを使うことが多い。なんとなく好感を持っているのだ。心理的なことや哲学的なことについてたずねるのが多いかもしれない。ChatGPTの回答の正否はともかく僕の思考の助けになって具合がいい。ありがとう。

仲間意識

どちらかと言うと他人のことはどうでもいい。例えばガザ地区に関する思いについて。何にせよほとんどの人にとってどうでもいいことだと思う。毎日気に病んだり、毎日祈りを捧げる人は極めて少ないだろう。そういう中にあっても「正直ガザのこととかどうでもいい」と口にしたり思ったりする人は少ないんじゃないだろうか。

僕は不謹慎に踏み込む性質があるせいか、そういうことを思ってしまう。これについては僕としても理論武装ができている。世界中で悲惨な死を迎える人はガザだけではない。それに死を平等に扱うなら悲惨でなくても死んでいる人は大勢いる。その人たちについて気に病んだり祈りを捧げたりしないのに、報道されるガザには特別な思いを持つなんて軽薄じゃないか。そんなのファッションだよ。

そういうようなことを諸々と突き詰めて考えると、僕や多くの人にとって根本的には他人なんてどうでもいい。悲惨な事件報道を見てその場の流れで同情したりするけど、あくまで他人事としてだ。そこまでの仲間意識を持つのは難しい。自分が所属するコミュニティの誰かに不幸があれば悼む思いがする。その程度の仲間意識が普通の人の限界なんだと思う。