カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

0時半に起きた。

アイデアの活動をしていた。アイデアとして書き記して置いたものを読み返して考えてみる作業だ。場合によっては新しいアイデアを書き出す。なんの役に立つんだかわからない感じがするのだけど、続けていれば何事かが成るんだと思う。だけど新しいアイデアというのが次々に出てくると面白いのになぁ。平素から物事について考えて発想を豊かにしておくのがいいのかなぁ。そんなこと言われたってなぁ、とも思うけども。だって、今は早朝で気分もすっきりしているけど、時間が経つにつれて重くなっていくんだよなぁ。余裕がなくて、何かをするのが大変になる。とすればやっぱりこのアイデアの活動をする中で新しいアイデアを生み出すのが好手なのか。

小説制作をしていた。プロットなしの作品でop57だ。本文に書いたキャラクターの特質を設定ファイルに書き写した。後々困るからね。それにてもこの作品で新しいエピソードを書く気分になれない。なーんか違う感じがするんだよなぁ。やっぱりおままごとやってるみたいな気分になる。もっと深く考えて書きたいのかなぁ。いやぁ、もしかしたら小説制作自体について違う感じがしているのかもしれない。わからない。また別のことをやってみようかなぁ。

加湿器の水がなくなった。とりあえず手元の水差し?っていうかピッチャーなのかな、何か飲み水を入れておく容器の水を注いでやった。こんなことしてたら不便なのでもう少し容量の多い入れ物に水を入れて持ってきておくのがいいだろう。ちょうどエタノールの容器5Lが空いているのでこれを使う。5Lって割合に小さいな。10Lくらいの容器でもよさげ。また買うことになるのかな。あまりお金は使いたくないんだけど、でも買いものは好きだ。

物事の道理が分かるようになってきたな、という感じがあるので、たぶん何もわかってない。

午前中

やる気が出ない。ノベルスキー(SNS)をたらたらやっていた。それでいて小説制作に手を出して、やっぱりやる気が出なくて調子が悪いのですぐにやめてしまって、ノベルスキーにもどったり、トンカツを買ってきて食べたりしていた。トンカツは美味しかったけどやる気は出ない。トンカツではやる気は出ないのだ。氷を握ったりもしたけどダメだった。どうにもならない。

クエン酸ってシトリック・アッシドって言うらしいんだけど、クエン酸を溶いた水をシトロン・ウォーターとかって商品名で販売したらちょっとくらい売れるんじゃないかなぁ。

「割り箸」と呼ばわるから伝わる雰囲気、安っぽさみたいな感覚があるのに、昨今はコンビニでもらう箸が割らないやつなんだよね。案外に安っぽくなかったりするんだけど、でもやっぱコンビニでもらった安っぽさってのがあって、それを割り箸という語は如実に表しているのに、割らない箸だなんてどうすればいいんだ。

ヘッドホンと置き型スピーカ比べると後者のほうがコスパいい気がするなぁ。ヘッドホンだと音量じゃなくて音質がちんまい感じがする。低音が苦手なヘッドホンでそれでそうなのかもしれないなぁ。低音が苦手なのか知らないけど。いやー、単に音量の問題なのかなぁ。音量を上げればヘッドホンでも迫力あるのかも。今ヘッドホン外しちゃって試すのも面倒だからどうにもあれだけど。まぁ手元の物での話なので一般的にどうなのかわかんないけどねぇ。

音楽を聴いている。音楽というかPerfumeだ。今どきはYouTubeでMMD?だかなんだかって呼ばれるやつを聴くのかなぁ。Adoみたいな? Adoで合ってるのかな。昔アドちゃんっていたよね。絵を描くお姉さん?みたいな。なんだっけ。なんもわからん。

システム手帳とか使ってメモを残して情報を上手い具合に扱いたい。でもメモすることがないんだよな。メモるの面倒臭いし。メモりたくなるような思い付きがない、みたいな感じ。でも手帳とかメモアイテムが魅力的に見えるんだよなぁ。ああいうのを使いこなしたい。というのは、つまり使いこなしている自分に憧れているだけで、使いたいという欲求があるのとは違うんだろうなぁ。欲求、難しい。

音楽を聴く趣味を持っていないのだけど、他方で最近は何もしないでぼーっとすごすことも幸せの一つなんじゃないかと思い始めていて、元々せせこましく動いてないといけない僕の性格を慮れば音楽を聴くって行為はぼーっとしているよりも活動的なんだよな。そう考えると、じゃぁ音楽を聴いてすごすのも幸せな時間なんじゃないかって気がするなぁ。まぁどうしても活動したくなっちゃうんだけど。

自分が何を考えているのかわからないなーと思う。例えば頬の筋肉がこわばって痛みのあるときがあるんだけど、そんなときに大きく口を開けて頬の筋肉を伸ばすんだね。でもこれをするときに僕は口を開けようと思った認識がない。頬の怠さに気づいたかもしれないけど、その後に何を思ったのかわからない。例えばまた、今の僕は首をかしげていたんだけど、かしげようと思った認識がない。でも、かしげる判断をしたはずなのだし、僕はかしげようと思ったんじゃないかな? 自然な仕草というか、無意識の仕草なんだろうか。いやまぁ、確かに今の今キーボードを打っている指を動かそうという意識はないよな。ないな。じゃぁ首をかしげるのも無意識なのか。ということはつまり無意識のうちにする動作はわりと多いのかもしれない。そうか。そうなのか。

前述で無意識のうちに手を動かしてキーボードを打っているように、慣れれば無意識のうちに小説制作ができるんだろうか。まぁ筋を考えるのは無理にしても、文字を綴ることは脳のブラックボックスの中に入れてしまって、こう、ストーリーを思い浮かべると勝手に文章を書いている。そういうことができるのかもしれない。できるのかもしれないし、プロの作家はそのくらいじゃないと務まらないのかもしれない。ああ、ああー、そうか。

午後

ノベルスキーをしていた。

それから何をしていただろうか。覚えていない。お菓子を買って帰ったら父に文句を言われた。そのことで落ち込んだ。死にたくなった。

総括

今日はそこそこの日だった。