カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 日記再開

午後3時

日記を再開することにした。書かなかった理由が特にあるわけでもない。書く価値観が失われていただけだ。この度、ちょっと訳あって再開することにした。書かねば、という使命感と共に。

それでなんなんだが、眠い。身もだえするくらい眠い。カフェインを抜いているのだ。睡眠がいい具合でない。具体的には早く目覚めてしまう。21時くらいに寝て24時くらいに目が覚め活動を開始する。3時間睡眠はダメだ。カフェインの摂り過ぎでないかと思った。それでカフェインを抜いている。カフェインを抜いたらねっちゃ眠い。

気がついたら目が覚めた。夢を見ていた。アサルトライフルみたいなもので銃撃戦をしていた。場所はかつて通った中学校の音楽室周辺だ。1人いた仲間は殺された。僕は壁に隠れてドア越しに相手を撃った。静かになった。ブラフかもしれない。どうしたものか、というところで目が覚めた。という話だ。

眠い。本当に眠い。久しぶりに氷を握ってみた。眠気が8割方取れた。自律神経を刺激しているはずなんだが、副交感神経に変わって交感神経が優位になったらしい。これは効果があるぞ。みんなも真似してみるといい。こんな簡単なことだが、なんだかアホらしくて真似できないはずだ。それがみんなの弱みであり、実行してしまう僕の強みだ。

熱々のカップスープを飲んだ。ポタージュだ。2倍の濃さで作ってみた。で、眠気がさらに取れた。気分を入れ替えるのに使える方法なんだけど、眠気を覚ますのにも使える。まぁそういう意味では氷を握るのもそうなんだけど。まぁちょっと気分が落ち着かないけど、眠気は取れた。素晴らしい。

午後4時

眠気に苦しみながら日記を書いたり氷を握ったりしていたら16時になった。早いものだ。今日は愛と恐怖について考えさせられた日だ。恐怖とは――僕の考えによれば――喜びと共に最も原始的で根源的な感情だ。我々が生物として発生したとき、好ましいものに近づき、好ましからざるものから遠ざかる、という化学反応の連鎖だった。これが原初の喜びと恐怖だ。生物の心理の根底で生物を支配している。

さて、その恐怖は愛の邪魔をする。愛が裏切られるのではないか、悪意によって害されないか、と恐怖することによって愛を注げなくなる。赤の他人には愛が薄い。身近な人には愛が濃い。特に自分に対して好意的な人への愛は強い。そういうわけで博愛とは難しいものだ。悪意に晒された経験のある人は他人をかたくなに愛そうとしない。仲間内でだけ愛を育もうとする。

もし心が強ければ、何者にも害されない強い心を持っていれば、何者をも愛せるだろう。強くなくては愛せないのだ。しかし強くなるためには自愛が必要だ。自己愛なくして強くはなれない。自己愛はまた他愛を生む。つまり愛と強さは両輪となって人を前に進ませる。それは難しいことだ。人生を懸けて取り組むにふさわしい課題だ。少しずつでいい。忘れてしまってもいい、また思い出したときに取り組めばいい。進む意思が大切だ。愛を求める気持ちが重要なんだ。

総括

今日はイマイチだった。ここ最近は毎日そうなんだけど早朝が一番調子がいい。その早朝にあって今ひとつ気分が乗らずに小説制作ができなかった。小説制作は僕が主たる活動としているものだ。それができない。イマイチだな。