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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-06-29 そこそこの日だった

目覚め

深夜2時前に起きた。ひとまずルーチンとしてホエイプロテインと難消化性デキストリンを飲んで、酢を飲んだ。しばらくして濃いコーヒーを飲んだ。わりと普通な感じの目覚めだ。この普通な感じがなかなかないので難儀している。

今日は自然に取り組めた

小説制作で百合のやつのプロットをやった。久しぶりに普通に進めることができた。ちょっとモタついて作業量としてはイマイチなんだけど、2時間ほど使って取り組めたのは評価に値する。特段に自分のやる気を意識することもなく自然に制作活動ができた。これは本当にありがたいことだ。

作業内容は世界観の演出をすることだ。中世ヨーロッパ風ファンタジー世界を読者にどうやって感じさせるか。剣や石造建築やなんかを文章で書くことで雰囲気に浸ってもらえたらと思う。こういうのは計画的に出していかないと、気付けば全く書いていなかった、なんてこともあるだろう。また他方では、キャラクターのちょっとした所作の中に魔法的な要素を入れていけたらいいと思うんだけど、本文執筆時に即興で入れるのは難しいので、プロット段階で組み込むように計画しておくのがいいと思う。

つぼみの事情

小説制作ではプロットという計画を過剰なほど作り込んでいるけど人生では僕は全くの無計画だ。ここには独特の事情がある。

小説制作の進捗については計画が立てられない。うつ病の症状が出るかどうかで作業ができたりできなかったりして先が見えないからだ。これは逆に言うと時間を気にせず作業に手間がかけられるということになる。だからプロットを細かくできる。

人生で時間を気にするというのは物事を継続的に行うということだ。だけど僕は気分屋なのでおよその物事を継続することができない。唯一小説制作が続けられているけど、これは例外的に僕が強い関心を寄せているからだ。他のことで続いているものはない。続かないということは計画を立てる意味がないということだ。

僕は興味のあることには執ようになるけど、興味がないことをするとパフォーマンスが著しく下がる。パフォーマンスが下がるというのは、文章なんか読んでも意味が理解できなくなるくらいだ。面倒な性質だけど、置かれた場所で咲かねばなるまい。

午前中から午後3時

朝食の後、濃いコーヒーとチェイサーを飲んで腹がタプンタプンになりしばらく休憩となってしばらく。小説制作のスマホで気楽に制作するやつをやり始めた。久しぶりだったので思い出すのにいくらか設定とかを読んでなんとなく「このままでは不味い」と感じた。思いつくままに作っていっていて、まとまりが得られない。作り方を変えなければならないと思った。

それなら、これまでやったことのない新しい作り方をしようとChatGPTに相談した。相談する中で、そもそも自分の基本的な作り方はどういう立ち位置なのか分からなくなってきて、それについてChatGPTに相談した。結果として僕は「バランス型・プロット起点」とのことだった。キャラクター重視とプロット重視の間のバランス型でプロットが基点になっているとChatGPTは言っていた。

じゃぁ新しい作り方は、ということで相談内容を加味した上で全く異なるアプローチを提案してもらった。――(このあたりで昼食が入る)――3つの案があった。

  • キャラクター内面完全主導型 キャラクター任せでプロットなし
  • テーマ絶対主導型 テーマを表現するためにキャラクターもプロットも全てを捧げる
  • 世界観先行型 緻密な世界観をつくり上げてそこで活動しているキャラクターを拾い上げて描く

だ。どれもかなりとがっている。「キャラクター内面完全主導型」はやってみたいけど既存作品ではちょっと難しい。全てが変わってしまう。それを言うなら他の型もだけど。これはキープして他のもう少し僕のやり方に近いものをお願いしてみようかな。

後悔しないらしい

疲れを感じて横になっていたら眠くなってきたので、濃いコーヒーとチェイサーを飲んで腹がタプンタプンになりしばらくゴロゴロしていた。不意にH2O「想い出がいっぱい」の歌詞を思い出した。「古いアルバムの中に~♪」だ。アルバムと言えば前の恋人が僕のところに持ってきて置きっぱなしのまま別れてそのままのアルバム。面倒くさくなる病気のうつ病を患っていては送り返すこともならず20年近く経ってしまった。

僕は後悔することがない、と思っている。「あのときこうしておけばよかった」と思うことは全くない。それが「後悔することがない」の元になっている。ただ、前述のアルバムのことなどを思うとせきりょうのような感情が浮かんでくる。こういう感情なら思い出せばかなり出てくるだろう。これは後悔の念とは違うんだろうか。

悔やむ、とは広辞苑には「自分の行いについて、そうすべきではなかった、あるいは、こうすべきだったと残念に思う。後悔する」、大辞林には「失敗したり,うまくゆかなかったりしたことについて,別の処理をしておけばよかった,とあとになって残念に思う。くやしく思う。後悔する」とある。どちらにも「そうすべきではなかった、あるいは、こうすべきだった」「別の処理をしておけばよかった」という記述が含まれる。つまり「あのときのやり方が間違っていた」と言って残念がることのようだ。

そういう意味では僕は間違っていたと思うことは何一つない。当時の自分の精一杯なのだ。間違いも正しいもない。僕に可能な唯一の道を通って生きてきた。やはり僕は後悔しない性格なのだ。

シメ

久しぶりに、大いに活動できて満足な日だ。半分以上はChatGPTと相談していた気がするけど、それはそれとして前に進んでいる。ChatGPTとの相談はまだ途中だけど、今日は疲れてしまってガラガラ閉店だ。