朝
2時に起きた。わりとよく寝た。
久しぶりに長対談
ChatGPTと対話していた。4時半くらいまでやっていた。小説制作に関して神や混沌の話をしていたはずなのに、いつからか人生相談になっていた。最終的には「スカラー量として今に注力し、長期視点でベクトルを与える」みたいな話になった。途中で「存続に執着しないことで結果的に存続してしまう」在り方などの考えにも及んだ。最終的に、大してなにさら得られた感じはないけど、今の僕のやり方でおおよそいいらしい、と分かった。気分のいい有意義な時間だった。
きっと
小説制作をしていた。簡単に書くやつだ。ついにプロットを作り始めてしまった。プロットなしのはずだったのに。でも作り込まないつもりだ。この作品についてChatGPTと対談をしたことで作品への思い入れが増している。プロットみたいなものも深く追求してしまっている。でも作り込まない。概要だけ決めて、後はテキトーに書く。きっとそうする。
そう言えば「きっと」とは「必ず・確実になる見通し」という意味だけどアニメとかなんかでキャラクターのセリフから受け取る印象は強い意志の表れであり、だけど叶わないかもしれない不確定要素があるものだ。「必ずや~」と言ったときより弱く感じてしまう。
おばちゃん療法
頭痛のときこめかみに湿布を貼るやつ。僕は応用して痛み止めの外用薬を塗っている。
塗った後しばらくすると確かに頭痛が治まる。治まることがある。でも塗ったから治まったのか、時間が経ったから治まったのか分からない。そもそも治まらないこともあるわけで。
だからといって頭痛を感じてから一定時間は頭痛が続くかどうか実験をする気にはならないので塗ってしまう。こういうような現実があるよな、と思う。