カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

23時半に起きた。ぼんやりしている。しばらくごそごそしていた。

アイデアについての活動をした。毎週土曜日はアイデアについての活動をすることに先日した。溜めていたアイデアを読み返して再思考するのだ。だけどぼんやりしていて上手くできた気がしない。新しいアイデアを追加したかったけど、どうやってアイデアを生み出すのか分からない。ぼんやりしているし。ぽやーんと終了した。

読書をした。「理工系のためのよい文章の書き方」の続きだ。考えさせられることが書いてあった。テーマについて「なぜ?」を繰り返せというのだ。答えの出なくなったところに核心があるというような話だった。僕は今の作品を「強さ」というテーマで書いている。この「強さ」とはつまり「物質的な強さで勝利を得る」というようなことだ。ここから「なぜ?」をスタートして最終的に「なぜ幸福がいいのか?」という問いに至った。幸福とはざっくり言えば心地いいことだ。「心地いいのがなぜいいのか?」というどうにも難しい疑問が生まれた。このことについてChatGPTに尋ねたら「人間や動物が心地よいことを求めるのは、生存と繁殖の進化的な要因に関連しています」というようなことが返ってきた。ああ、そうだよね。そりゃそうだ。

というようなことで朝は思索している時間が長かった。2.3時間やったことになっている。久しぶりに考え事をしたものだ。考える時間はもっと取ってもいいかもしれないなぁ。考える葦だからね。考えないとそこらへんに茂っている葦になってしまう。

午前中

それにしても今日は何をするのも面倒な気分だ。朝のすっきり感が薄れた今となっては何さらする気にもならない。TODOとして付箋に書いて貼っているものを見ても気乗りがしない。寝てしまうのも手だけど、気分が落ち込んでいないので惜しい気がしてしまう。ちょっと刺激を受ければやる気も出そうなものなのに、なかなかその刺激が難しい。

ノベルスキーをしていた。それなりに楽しんだ。じゃぁそれでえぇんかな、という気がする。だけどやっぱりなんだか時間を無駄にしているような気がする。今が楽しければいい。僕はそう考えている。考えているけど、やっぱりそれだけじゃない気もする。満足感とかだろうか。自分にとって価値のある活動をして満足したい。充実した感覚を持ちたい。つまり僕にとってノベルスキーとは価値の高い活動ではないのだ。とはいえ、やる気が出なくて他のこともできないし、難しいな。人生はままならん。

読書をしていた。朝の続きだ。だけど落ち着かない。そわそわするのではないけど、気持ちが逸れて集中できない。牛乳を飲んでみた。違うだろうと思っていたけどやっぱり違った。そわそわには効くけど、気が散るのには効かない。心を落ち着かせるというのとはまた違うのかもしれない。よく分からない。何度も経験すれば分かるのかもしれないけど、はてさて、それは僕にとって幸か不幸か。まぁ小説制作者としては幸福か。そうか。

午後

ノベルスキーをしていた。とりあえずノベルスキーだ。やる気も出ないし、食後の休憩もしたい。寝転がって何をするのかと言えばノベルスキーだ。Xより楽でいい。読書でもできればいいけど読みたい小説もない。学びを得るような本は疲れるから言語道断だ。14時までやっていた。ようやくこの日記を書く流れになった。ここから新たな展開が欲しいのだけど、もう疲れていてね、活動的にはなれないんだな。

「いい・悪い」ということの根底には「生存と繁殖」という価値基準がある。「いい」とは何か突き詰めると人類を繁栄させるための活動がそれだ、ということになる。その上で考えるに、哲学とはなんだろうか。よりよい人生のためには哲学を~という気がしていたのだけど「よい人生」とはつまり死ににくく子孫を増やすということだ。哲学をしてそれが実現できるのだろうか。よく分からない。

総括

今日はそこそこだった。小説制作はできなかった。読書して学びを得たのはよかった。