cdnjsjsDeliverunpkgSelf hosted

カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-07-02 そこそこの日だった

目覚め

深夜1時半に起きた。机に着いて、よく分からないうちに寝ていたらしく気付いたのは目覚ましのアラームが鳴ったときだ。早朝の部は丸々寝ていた。朝食が終わっても眠く、濃いコーヒーを飲んでやっと眠気が引いた。飲まなかったら一日中寝ていたかもしれない。先日もこんなことがあった。なんなんだろう。

しんどかった

朝食後のコーヒーの後は体がダルくなった。なんとか元気を出してタバコを買いに行って、気に入っているレジの人に担当してもらって元気が出て、帰って自室に戻って一気に元気がなくなった。再び体のダルさにあえぎながらベッドへ。

しばらくするとダルさが軽減されて少し楽になった。こういうことはわりとあるので、少しずつ考えていく。今は亜鉛サプリを通常より多く飲んでいて、亜鉛が多すぎると倦怠感が出たりするそうなので、まずはここを減らしていこうかな。まぁ単にこれまでどおり、うつ病の症状かもしれないけど。

短時間だけど気分がよかった

具合が回復してきたので小説制作を始めた。百合のやつのプロットだ。終盤になっていて、これまでのしわ寄せが来ている感じがある。伏線で主人公が手に入れたアイテムを使わないといけないとか、当初の予定を変更した流れで終盤に出来事を作らなくいけなくなったとか、そんな感じだ。意識的にではないけど終盤の物語要素は空き気味になっていて都合がいいのかもしれない。

作業内容は満足できるものだった。ただ集中力がもたなくて9時くらいからノロノロのペースに。やるような、やらないような、変な時間が過ぎて10時前に終了した。進まないのを感じたらスパッと終了するほうがいいんだと思う。それとも気分転換するとか。

それにしても気分転換するとしたら何がいいんだろう。1時間やって疲労が限界に達したってことはないと思うので飽きたんだろう。別の作業をして上書きするのがいいのかな。休憩するほうが有用とは思うけど、休憩するにしても、どう過ごしたらいいかという問題が出てくる。ボーっとしているのではリフレッシュにならない気がするし。まぁよく分からないな。小説制作の終了後この日記を書いていて気分転換になっているわけではないみたいだし。分からないことは多い。

歩き方

今年の半分が過ぎ、人生の目盛りも進んだ気がする。貴重な時間が過ぎていく。だからと言って行動を変えようとはならない。何かする気持ちが起きないと何もできない。自分で気持ちを変えられたらいいけど、それなら誰も苦労しない。僕は僕のやり方で僕の人生を歩むことしかできない。

外からの刺激にしろ、自分で思い付くにしろ、気持ちが変わらないことには行動も変えられない。「自分で思い付く」と書いたけど、それも外からの刺激があってこそという気がする。そうなると自分の生き方を自分の思いどおりに変化させることは基本的にはできない。

毎日勉強する人生が送りたいと思っても、要望を持っているだけではどうしようもなく、「やるぞ!」という心変わりが必要だ。それをある日「じゃぁそろそろ心変わりしようかな」とできるわけではない。本人の気持ちとは別の「ナニカ」によって気持ちが起こらないと。

でも人によっては、毎日わずかな勉強をすることから始めて少しずつ増やしていくといったハックが使えるかもしれない。これなら「やるぞ!」は小さくて済む。できるかどうかは自分の性分の問題だろう。可能な人は試してみたらいい。

午後になり

昼食後はXしたり小説制作に関する文書を作成したりしていた。小説制作もしたかったけど、午前とは違う作品のどれも気乗りがしなかった。その中でも「スマホで気楽に制作する作品」と「手書きプロットの作品」は面倒だと感じた。最近これらについて面倒な気分が高まっている。パソコンでやりたいと思ってしまう。もうちょっと様子を見て、場合によってはパソコンに移行だなぁ。