カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

プロットなしで書いたらいいんだろうか

小説本文を書くのがなかなか気分よくて、プロット制作に留まってぐるぐるしてばかりいるのも体に悪いな、と思い始めました。小出しに?本文を書いていく作業が必要な気がします。でも本文を書くにはプロットが……。いっそプロットなしで書いたらいいのでしょうか。

プロットなしで書く人は大勢います。むしろそのほうが多いような気がします。プロットがないからといって何も計画がないわけではないでしょうけど、みんなどの程度のことを決めているんでしょうか。何と言うか、プロットなしで面白く書けるものなんでしょうか。

プロットでは作品を面白くするため、たくさんのことを決めていきます。山場をどうするか、主人公は何に葛藤するのか、主人公の欲求は何なのか、などなど。面白くするために多くのこととを決めているのに、それらをスルーして面白い小説が書ける気がしないのです。

それともプロットなしの小説の面白みとは別のところにあるんでしょうか。いや、エンターテインメントを目指すならそんなことはないはずです。それなら別のジャンルを考えるべきでしょうか。日記小説とか? 寝てばかりいるのに? というか日記は書いてますし。

いやいや、まずは書いてみたらいいのかもしれません。手探りになるかもしれませんが、思い描いていることを思うままに。でもそれは先日小説家になろうに投稿して嫌な気分になった、出来損ないのプロットの作品と変わりないような気がします。これは論外ですね。

やはりプロットなしで書くのは無謀な気がします(読んで字のごとく!)。何か計画を作らないといけません。簡単に作るためのテンプレートを、みたいなことを以前から何度も画策しているのですが、これは上手くいきません。まだまともにプロットが作れないのにね。

と言うか、発表するからマズいんでしょうか。いや、そもそも多少なりとも評価を気にするからいけないんでしょうか。ゴミを捨てる心持ちで投稿する。いやいや、ゴミを書くために精神力を使う気分にはなれません。どうしたらいいのか、こうやって文章を綴っても答えは出ませんでした。