カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

承認される現実と、承認されないSNS

現実では摩擦を防ぐために多少我慢してでも承認されるだろう言動をする。そして摩擦を防ぐために多少我慢してでも承認する。そうでもなければ慎み深く言動を控えるのだ。

だけどSNSは違う。摩擦は現実ほど怖くない。摩擦を気にせず我を通した言動をする。そして我を通して否定する。そうでもなければ慎み深くスルーするのだ。

現実では承認されやすく非承認・否定が発生しにくい。SNSでは承認されにくく、非承認・否定が発生しやすい。

SNSによって承認欲求が顕在化したのではなく、そもそもSNSは現実より承認されにくいのだ。

落書き - WorkFlowy

WorkFlowyというのを見つけた。思考ツールかな? 詳細はググったりしてもらいたい。使ってみたわけではないけど宣伝やなんかから想像するに、リスト・子リスト・孫リスト……という構造でファイルもファイルの中身も同列に扱うツールなんだろう。面白い着眼点だと思う。思考ツールとして優秀らしい。

少し似たことを僕はやっている。思考ノートと名付けた方法はリスト・子リスト・孫リスト……的だ。見た目は。でも僕の思考型にはズームインしていく感覚がある。「なぜ?」を繰り返すように思考対象を突き詰めていく。WorkFlowyはズームインもズームアウトも自由にできるように思う。僕の方法の上位互換だろうか。

今僕はテキストエディタやNotionを使っている。WorkFlowyに引っ越すべきなんだろうか。試しにやってみたらいいのか。そうだなぁ。ちょっと面倒な気もするけどやってみるか。

うーん、どこまでも思考ツールだな。管理や執筆の面は気にしてないようだ。普段から高い次元で考えることをしている人には向いているかもしれない。でも僕の思考には合わないかな。いろいろ考えたんだけど、なんか違う。生活=思考、みたな人が使うツールという気がする。憧れるけどね。憧れるけど、その像にはもやがかかっていて僕の居場所と離れている。残念だけど今回はいいや。

落書き - 巾着

巾着は正確な定義?を知らなかったのだけど、およそ「口を紐で縛るようにした小型の袋」というようなことらしい。

巾着でまず思い浮かべるのはおでんの具としての巾着だ。僕は餅巾着が好きなので。というか餅が好きなんだと思う。巾着は要らないのだ。うーん、テーマが巾着なんですが。

次に袋の巾着ではなく腰巾着という人物表現を思い浮かべる。ただイメージとして出てくるのは太鼓持ちの姿なんだよね。どちらも比喩として使った場合は似たようなものか。腰巾着はいつも引っ付いて歩いている子分のような存在だ。太鼓持ちはお世辞を言って付いて歩くような人のことだ。まぁどっちも比喩だから意味はぼやけている。同じとしても問題ないんだろう。

で、巾着は袋だ。巾着袋とも言うけどこれは重言かな? 「巾着」だけで袋という意味があるのだから。まぁいいや。おばあちゃんが持っていたイメージかなぁ。なんにせよ僕の年代から見て高齢の人、今生きていれば100歳を超えた女性が持っている感じ。でも和服を着れば女性は持つのかな。

同じようなものは中世ヨーロッパ風世界にも登場すると思うんだけど、これを「巾着」と表現して大丈夫だろうか、という気がする。僕の感覚ではとても和のイメージが強い。まぁそりゃぁおばあちゃんが持ってたし、和服の女性が持っているし。和だ。使いにくい。

巾着は正確な定義?を知らなかったのだけど、およそ「口を紐で縛るようにした小型の袋」というようなことらしい。

巾着でまず思い浮かべるのはおでんの具としての巾着だ。僕は餅巾着が好きなので。というか餅が好きなんだと思う。巾着は要らないのだ。うーん、テーマが巾着なんですが。

次に袋の巾着ではなく腰巾着という人物表現を思い浮かべる。ただイメージとして出てくるのは太鼓持ちの姿なんだよね。どちらも比喩として使った場合は似たようなものか。腰巾着はいつも引っ付いて歩いている子分のような存在だ。太鼓持ちはお世辞を言って付いて歩くような人のことだ。まぁどっちも比喩だから意味はぼやけている。同じとしても問題ないんだろう。

で、巾着は袋だ。巾着袋とも言うけどこれは重言かな? 「巾着」だけで袋という意味があるのだから。まぁいいや。おばあちゃんが持っていたイメージかなぁ。なんにせよ僕の年代から見て高齢の人、今生きていれば100歳を超えた女性が持っている感じ。でも和服を着れば女性は持つのかな。

同じようなものは中世ヨーロッパ風世界にも登場すると思うんだけど、これを「巾着」と表現して大丈夫だろうか、という気がする。僕の感覚ではとても和のイメージが強い。まぁそりゃぁおばあちゃんが持ってたし、和服の女性が持っているし。和だ。使いにくい。

落書き - 中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の治療

治療魔法だとか魔法治療薬だとかいうものを見掛ける。なくてはならない概念という気がする。戦うことの多い世界観だから、キャラクターにはケガをしてほしいし、ケガをしたなら治療しないといけない。全治3ヵ月なんて言ってられないから魔法で治しちゃうしかない。

しかしあまり簡単に治ったのでは面白みがない。なんでももったいぶらないといけないのだ。滅多にケガをしないし、ケガをしたなら滅多なことでは治らない。そこにこそ強い欲求やその他の感情が生まれる。ゲームのように、戦闘中に全快なんかされたらケガを負わせた意味もない。ケガを押して敵を倒すのが面白いんじゃないか。

まぁ個人的には主人公がケガをするような事態は避けたいけれど。読書中あまり精神的な負担が大きいと疲れてしまう。

それはそれとして。

程度の問題だけれど、治療の難易度を高めたいところだ。治療魔法には集中力が要るから戦闘中の回復は無理、とか。魔法回復薬は栄養ドリンクみたいな手軽さで買えない、とか。とにかくもったいぶって陳腐化を防がないといけない。

落書き - マウス

マウスというと僕にとってはまずパソコンのマウスが出てくる。他にもあるんだっけ、と考えて実験用のマウスを思い出す。とりあえずそんな感じだ。

パソコンのマウスはまぁまぁなじみがある。僕はThinkPadキーボードのトラックポイントをよく使うので机に着いているときはあまり使わないけど。でも仰向けに寝転んでパソコンを使うときにはマウスを使っている。

今でもあるのか知らんけど、昔のマウスには巨大なのがあった。手にちょうど収まるくらいの大きさで、マウス操作は手自体を前後左右に動かす必要があった。僕が使っているのはもうちょっと小さくて、指でマウスを動かしている。それが普通なのかな、という気がしているけど、どうなんだろう。大きいやつはAmazonで注目することがないから、そんざいしているのかしていないのか、わからない。

実験用マウスは倫理的に考えさせられる。マウスに人格みたいなものを感じればこその倫理なのだけど。なんというかあれが人間だったら絶対ダメなわけで、命を大切にしましょうって下りではマウスを実験に使うというのはあり得ない。でも肉とか普通に食べているし、虫とか普通に殺すし、マウス実験を経て作られたうつ病の薬で僕は日々を過ごしている。文句は言えないわけだ。

なんだろうねぇ、物事は程度の問題だから、やり過ぎがいけないのだけど。動物実験って倫理的には明らかにやり過ぎだと思う。そう言いだすと、動物を食べるために動物に産ませたりするのも残酷はなしだ。生まれる前から殺されることが決まっているのだから。それに美味しい肉が食べたいからと品種改良するのも冒涜的だ。やり過ぎがいけないのではないのか。いや、欲望の前にはなんでも正しくなるのだ。そうだね。これは暗い話だ。