気づき
車と書斎は同じなんじゃないかと思った。男性には車に熱意を持つ人が多くいる。これは車に居場所を見つけたということじゃないかと思う。つまり書斎のような存在だ。車の文化が広がる以前は書斎にこだわりを持つ金持ちが多かったのかもしれない。
それにしても考えてみると僕は書斎を持ちたいほうなんだろう。今は独り者で部屋を1人で使っているけど、もしも家庭を持ったら寝室はパートナーと一緒かもしれない。そうしたときに書斎があるといい気がする。1人でいる時間が好きだから。
切実な問題
僕の、小説の好み。まず中世ヨーロッパ風ファンタジーであること。それから主人公より強い存在がいないこと――コンプレックスがにじみ出ていて恥ずかしいが。後はシリアスなこととかだ。作風として言及できるのはそのくらいだろう。シリアスの部分は少し妥協が可能なので、この条件に合う作品はそれなりにあるだろう。だけど実際に読み続けて楽しい作品はほとんどない。
小説制作における根底のテーマにもしているけど、僕が欲するテーマは「困難を乗り越えることを楽しむ」ということだ。これをちょうどよく満たす作品がないのだ。最近増えてきた凪のエンタメという風潮。作品にストレスがなく、主人公が成功して賞賛されることが延々と続く。これには困難がないから読み応えがない。好みには合わない。
旧来的なまっとうな作品には困難に突き当たるのが当たり前だった。なら旧来的な流れの作品を読めばよさそうなものだけど、ここには僕のコンプレックスが関わってくる。主人公より強い存在がいてはならないのだ。だけど旧来的な流れの作品では「主人公は自分より強大な存在と向き合って奇跡的な勝利を収める」というのが一般的だ。これだと許せないしスリルが強すぎて疲れてしまう。疲れを嫌って敬遠してしまう。
しかし、ここまで来てもまだ条件に合う作品はある。なのに実際には好みに合わないのは僕が常に興味深い展開を要求するからだ。ほぼ全ての作品がこれを満たさない。
クライマックスに向かって静かに足元を固めるような展開に耐えられない。そういう展開であっても僕にとって興味深く感じられれば問題ない。だけどそうはならない。どうしても退屈してしまう。僕のストライクゾーンが狭いことと、こらえ性がないことが原因だと思う。10年前はいろんな作品に満足できていたんだけど。
思考について
人間の思考はAIと同じだと考えている。思考には言語で考えるのと、無言語で思索するのがある。アイデアを出すときなどは言語で考えるのがいい。だから無言語で思索したものでも言語化すると考えが進む。こうしたことをやっていると感じるものがある。思考するというのは、前段階で出てきたアイデアと記憶の一部が反応して浮き上がってくるものだと思う。何事かを考え出すと言うより浮かび上がってくる。それでAIというのもそういう仕組みらしい。同じだ。
それで重要なのが先に出た「言語化」だ。考えていることを言語化する。もっと言うと文字にして書き出す。こうすることで記憶と反応するための情報が明確になるからアイデアが出やすい。だから僕は「思考ノート」というのを使う。
思考ノートは普通のテキストファイルだ。書式はMarkdownというのと僕なりに拡張したものを使っている。箇条書きが鉄則だ。インデントで下げることで上の項目に従属的な意味を持たせる。そういう簡単なルールで思いついたことをどんどん書き出す。そうすると何もなしに考えているよりアイデアが出やすい。よく出る。書き方はどうでもいいから思考ノートというのはお勧めだ。