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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2026-04-27 そこそこの日だった

寝起き

前日の深夜11時に起きた。調子はそこそこ。やる気もそこそこ。こんなものだろう。しかし起きたてはいつも「まあまあ」「そこそこ」くらいだ。それが場合によってはどんどん悪くなったりする。何かコントロールする方法はあるのかなぁ。天気の加減もあるし自分自身の調子もあるし、あまり期待できないだろうな。

憧れの情報管理術

仕事と勉強ができる人のリアル「ノート&メモ」術」を読み始めた。アナログノートが対象の本だ。アナログノートはあまり使う気がないんだけど憧れはある。だけどそれよりもデジタルノートの役に立てばいいな、という思いでこの本を読み始めた。まぁアナログノートに目覚めてもいいのだし。

この本は多くの人のノート術が載っている。あまりサクサク読み進めてももったいないし、実際に読んでみるとそんなに面白い内容でもなかった。1日1人のノート術を読んでいくことにした。

それにしても今朝の僕はリラックスモードだな。やる気は低いけど低いなりにトロトロと低速回転を続けている気分だ。換気のために開けた窓からは小雨くらいの雨の音が入ってくる。これの影響があるかもしれない。

憧れの中世ヨーロッパ

西欧中世における都市と農村」を読み進めた。この本は論文みたいなものを複数集めて一冊にしたもののようだ。発行者も九州大学出版会ということでアカデミックな香りがしないでもない。

それで今は「フランス史における都市的なものと農村的なもの――対比の試み――」というのを読んでいる。この著作は節ごとに区分されているので1日1節くらいで読み進めようと思う。中世ヨーロッパに興味はあるものの学術的に専門的な話となると退屈になってしまう。少しずつやっていく。

積読はいくらでもあるのでサッサカ読み進められるならそうしたいけど、なかなか。腰を落ち着けてどっしり構えるのが肝要だろう。

この本では読書ノートにメモを取ったりもしたけど時間はさして経っていない。今は1時前だ。前述の本もそうだけど短い区切りで読んでいくと多くのことを処理できたような気分になって充実感がある。フェイクという気はするけど、これはこれで生活の楽しみなのかもしれない。

軽いものを

今朝はとりあえず「シナリオ構造論」『キャラクターイラスト基本の「き」』はスルーだ。思考負荷が高くて今の気分に合わない。そのうち気分が乗ってきて気が向いたなら取り組んでみてもいいけど。

それにしてもこうなってくると軽い内容の本がもっとあるといいような気もする。そこで本棚から「毒の科学」を選んだ。小説制作や中世ヨーロッパといった僕の主たる活動に関わる「学び」の色が濃いものから離れてみた。まぁこの「毒の科学」も小説の資料という枠で購入したものなんだけど。

とりあえずさわりだけ読んだ。なんか化学式の読み方が最初に解説されていた。この本を読むうえで基礎的な知識なんだろう。しかし雰囲気は分かったものの書いてあることを覚えられもしないし、毒物の化学式に僕が興味を示すかは謎だ。

飽きとの戦い?

そろそろ読書の時間を終えて小説制作に着手しようかと思った。昨日もやっていた百合のやつはちょっとお腹いっぱいなので置いておく。他の作品は少年のやつと、旅のやつの本文執筆がある。だけどなんとなく本文執筆に面倒な感覚がある。しばらく前から感じていた。

どうしたものかな、と思う。このまま本文を書かないでは済まないのだし、なにかしらの物事を経て書けるようにならないといけないんだけど。どうも本文を考え出すことに忌避感があるようだ。漠然としたイメージにある情景を精密にレンダリングして文章に書き表すことが重荷に感じられる。レンダリングする部分がネックだ。

ところではてなのほうで読んでいる人にとってしばしば「レンダリング」という言葉は分かりやすいと思う。noteのほうではそうもいかない気がする。

レンダリングというのは設計図を元にして実際に見える絵面を作り出すことだ。僕が小説制作のなかでレンダリングと表現するのは、手書きのいいかげんな設計図から実際にキャラクターがどんな場所でどういう言動をするのか想像を膨らませることだ。しばしばここでプロットとズレが生じるのだけど。

で、本文執筆が面倒な話。食わず嫌いみたいになっているかもしれない。面倒だというイメージが先行していて、実際に書いてみればそんな気の重い作業ではない、という感じ。だからといって無理にでも書き始めようとは思えないんだよなぁ。ソフトランディングしたいね。

自分らしさ?

ノートを捨てているらしいことに気づいた。以前はアナログのノートをよく使っていて何冊も持っていた。新品もあったし、使いかけて捨てるのももったいないから放置しているものもあった。そういったノートが見当たらない。ある程度のノートを捨てた記憶はあるが全部だったのかは分からない。

ここで自分の性格を鑑みるわけだけど、ゴチャゴチャしているのが嫌いだ。使いかけのノートなんか最たるものだ。もったいないからといって保管していて、何かに使えることもあるけど、結果を見ると有効利用にならないことが常だ。それで、僕は衝動的に思いたって全部捨てる可能性がある。部屋のめぼしいところには見当たらないし、捨てたと考えるのが有意だろう。

今、ノートの必要性が芽生えてきていて、うーん……となっている。

ドーパミン獲得計画

禁間食に取り組んでいると「人生は大きな喜びを求めず淡々と送るものなのでは」という気がしてきていた。しかし先日、大きな喜びの元となる脳汁「ドーパミン」が認知症を防ぐという話を見かけた。そういう健康全般から考えるとバランスの取れたドーパミンが有用なんじゃないかと思った。

そこでドーパミン獲得計画だ。小さな目標を設定してクリアしていく。これを実装するにあたってノートに付箋を貼って、1枚ごとに目標を書き込み達成できたら「たいへんよくできました」のスタンプを押す、というのを考えた。前述でノートの必要性が出てきたのはこのためだ。

付箋を使うアイデアは以前大量に買い込んで余っているものが有効活用できると思ってのものだ。それにスタンプを押す必要性からある程度のスペースを確保する必要があり、大判の付箋は有用だと考えられる。これはいい流れだ。

で、付箋を貼るということはノートが太って厚くなるということだ。そのことを考えるとリングノートが適しているような気がする。リング以上に厚くなれないのでかえって不適合かもしれないけど、まぁ、この路線で行くことにした。ノートはAmazonに注文して明日届く。スタンプは持っている。具合よく事が進んでいる。

7月末締め日の同人フォトブック企画

――というやつのコンテンツ制作に着手した。パソコンにフォルダを作ってREADME.mdファイルを入れる。コンテンツは写真で自己紹介用1枚と好きなものとかいろいろが9枚だ。好きなものとか用に机を撮影した。この企画のそもそものつながりが小説制作なので、小説制作の執筆環境を披露しようというワケだ。

他の写真はまだこれから考える。そもそも自己紹介用って何を写すのか分からない。この時代に自分のポートレートを要求されているわけじゃないと思うけど、かといって自分のポートレートがいけないわけでもないだろう。そのあたりどうしたものかな、と。汚いおっさんの写真を載せるのもアレという気がしないでもないし。