散逸的な展開の文章になってしまった
僕は複数のことを同時に進めるのが難しい。長期的に並行するのは可能だけど、短期的にはできない。シングルタスクな人間だ。長いあいだ、このことは自覚しつつも漠然とした理解だった。近年になって作業しながら音声通信する人が大勢いて、実感させられた。僕も挑戦してみたけど全くできなかった。なかなか面白い経験だった。僕は飛べないのに彼は飛べる、そんな感覚だ。そんなことってあるんだー!と思う。
シングルタスクにはメリットがあるんだろうか。あってくれよ、と思う。でも今のところ認知していない。集中力が高いのかもしれないけど、だからといってなされる作業が同じなら無意味だ。集中力が高いとミスが少なそうだが、僕という存在がそれを完全に否定している。僕はうっかりさんだったのだ。昔、上司に「君の目はただの模様だな」と冗談半分に言われた。でも当時のミスの多さからして反論は不可能だ。
まぁしかし、そもそも勝る必要はない。僕は僕でいい。無能であっても許して受け止めるのが幸せへの唯一の道だ。自己肯定感という言葉が誤解されているけど、本当の意味はそういうことだ。無能の自分を許すことにある。自分を高評価することではない。
処世術?
ここのところ「いい人でいると損をする」という言説によく出会う。Xでの話だ。僕としては悟りを意識しているので悪意や干渉は気にしない方向で処理したい思いがあった。ただ、悟りが開けるはずもなく、であれば具合よく処理しないといけない。つまり悪意や干渉には毅然と対処する必要もあるということだ。
こういったあたりはバランスの問題で、あまり周囲におびえてキツい対処をするのは問題がある。程々だ。僕が満足できる程度がいいだろう。悟りを意識しているのだから、ある程度は寛容になって心を仏にした気分で満足する。だけどそうとも言ってられない場合には毅然と払い除けるのがいいだろう。
ノスタルジー
古いものを残すことってどうあるべきなんだろう。古い町並みを保存するのは理解できるんだけど、でも例えば現代の町並みも100年後の未来になったときには古い町並なんだろう。じゃぁ残すべき?
古いものを残したいという感情は今を生きる人としての傲慢のような気がする。自分がいなかった時代に感じるロマンが、古いものを残すべきという思いを生んでいるんじゃないか。今現在の文化とかを100年後に残そうとは思わないもの。最新の文化はそんなノスタルジックな存在じゃないぞ、という自負というか。
そう考えると古いものを残してもしょうがないのか、という思いが生まれる。でも感情的には否定している。なんだろうなぁ。100年経ってから考えることなのかもしれないな。