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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記差分 - 2026-04-18

僕はAIだった

思ったことをエッセイにするだけなら簡単だろうと思っていた。だけど何も思わないときがしばしばある。今もそうだった。でも、ふと「カツ丼が食べたい」と思った。だけど、思ったのか? 重うとかなんか、精神の活動にはいくつか種類がある。

まずは感じることだ。暑いとか寒いとか、主に五感から来る感覚だ。眠いなんていうのも含まれると思う。

それから感情がある。うれしいとか恐ろしいとか、感動したとか、そんなやつ。

似た感覚として欲求がある。もしかしたら感情の一部なのかもしれないけど僕は別物のような気がしている。さっき僕がカツ丼を欲したようなものだ。ややこしいのが睡眠に関するやつだ。眠気は感覚だけど、別途「寝たい」という欲求がある。ここは別だ。

それから思索とか。僕が思ったことをエッセイにしようとしたのはこの部分だ。赤いものを見て派手だと感じるのは感覚だけど、「派手好きな人はどうして派手がいいんだろう」とかいうのが思い浮かぶと、思ったというより「考えた」となるだろうか。

ここは面白いところで、AIの仕組みにも似ている。アイデアはしばしば唐突に浮かんでくる。だけどそれを元に考えを進めるという「考える」という行為を分析すると、前に思ったことに関連して勝手に浮かんできた思いのように感じられる。

「派手好きな人は~」と考えたあと「自己主張が強いのでは」と考えたとしても、これは論理的に必然のことではない。他のことを思い浮かべるのも可能だ。そのなかで、今より前に思いついたことに基づいて自分の感性から自動的に浮かんできたものだ。「考える」という行為はこの連続のような気がする。それで、AIの仕組みはそういうものらしい。面白い。

気が利いているとうれしいね

商品パッケージの箱って開けやすくミシン目がついているのに処分するとき分解しやすくなってないのが多い。顧客サービスとしては片手落ちだ。なんでこんな目先のことしか気にかけないのか不思議に感じる。そこへいくとティッシュの箱はよくできている。あれでこそ顧客満足度を高める施策と言えるだろう。

このあたりセデス・ハイという解熱鎮痛薬の箱はちょっと面白い。ミシン目は開けるときにだけ付いているけど、箱を分解するのがわりと簡単だ。分解することを前提にして容易にのり付けがはがれるようになっている。これはわりと心地いい気遣いだ。

お釈迦様は快楽に飽いたらしいが

間食しないということはこんなにも空虚なのだと驚いている。いつ頃からか先日まで僕にとって間食は当たり前のことだった。たまに「まぁ今日は食わんでえぇかな」と思うくらいだった。健康問題や金のことで間食もセーブする必要が出てきた。その流れで基本的な立場を「間食しない」と定めたのだ。

するとどうだろう。心から潤いがなくなった。きらめきが消え、夢も消えた。このことは僕が間食に依存していたことを示している。禁煙でもそうだったけど、大変なものを失った感覚が湧いてくる。禁煙ではどんな状況でも僕の味方でいてくれる唯一の存在を失った。禁間食では絶対的な楽しみを失ったのだった。

思い知らされるのは依存の恐ろしさだ。快の感覚にドップリ浸ってはいけない。たまにならいい。だけど毎日はダメだ。そしてたまにやったことで歯止めが利かず毎日にエスカレートするようなことは禁止だ。人生はただでさえ苦があふれているけども、そんなものでは甘かったのだ。自ら苦に飛び込んでいくポジティブさがなければ人生を粗末にしてしまう。