寝起き
深夜12時に起きた。今朝も頭痛が始まっている。なくなってくれればよかったけど、なくなっていると昨日一日一緒だった友達と会えなくなるような感覚もある。苦しみが友達とは、うつ病と長く寄り添ってきた処世術みたいなものなんだろうか。さぁ、知らんけど。
くだんの島を思いながら
「嫌悪」という感情は、ヤバい欲望に対する防壁なのかもしれない。
僕は、人間の性質は誰もが同じものを持っていると考えている。分かりやすいところでは食欲とか、色欲とか。受け入れられない人もいるかもしれないけど、加害の欲求や、虐めの根源にある欲求とか、そういうものも全てだ。
それで、僕は小児とエロを結びつけるには忌避感とか嫌悪感がある。だけどこの忌避感・嫌悪感は、僕の中に小児性愛があることの反証なのだ。僕の考えによればこれも誰にでもある欲求であり、だけど絶対的に抑え込まないとマズい欲求だ。完全に封印する力を持っているのが嫌悪という感情なんじゃないか。
自制心による我慢という貧弱な防壁ではなく、欲求をなんらかの原理によって鏡のように嫌悪感に反転させる、論理的に破壊することのできない防壁。( ゚д゚)ハッ! するとやつらは超越者……。
取り留めのない思索
哲学的に「人生とは」と考えをこねくり回したところで、腹を空かせて食事にありついたとき、そのときの人生は食事に他ならない。哲学的な思考と生活には隔たりがある。他方で、僕は「人生とは今である」のように考えているけども、その考えから食事する今に集中するなら哲学的な思考が生活と結びついている。
哲学を楽しむのはいいことだけど、それを生活で実践できれば人生がより豊かになる。逆に生活から得た人生の気づきを哲学に取り入れれば、哲学の思索はより深くなる。他の学問で、物理学とか文学とか、そういうものも同じなんだろう。学問や思想に初めて触れたときは生活と結びつかない実際に役立たないもののように見えると思う。でも全てでないにしても、いくらかは実践できる。
元の生活が戻ってきた
「キャラクター」を読み進めた。なんか難しいことが書いてあった。章の終わりまで読んで、薄ボヤけたイメージを得、何も分からなかったような気分だ。概念的で抽象的な内容だった。総括すると「学び考え自分を信じよ」のような感じだった。
読んでいるあいだに前述の「取り留めのない思索」を思いついて書いた。個別の記事にしようとして書き始めたけど、たいした内容にならないから日記の一部に組み込んだ。
それにしても今日は久しぶりの読書のような気がする。1週間以上、頭痛に悩まされて読書どころでなかった。そのあいだ鎮痛薬の薬漬けになっていて、昨日はそれを是正するために薬なしで過ごした。功を奏したのか今朝の頭痛はわりと穏やかだ。世界に感謝。
いい調子
朝食のあとは眠くなって寝た。通院することになっていて、いつまでも寝ているわけにもいかないけど、僕は日中に寝ると1時間くらいしか寝られないので問題ない。
通院のために母の車に乗っていて、Xで見つけた母向けのネタをよく思い出すことができたので会話がはずんでいい時間だった。よく思い出せるというのは、たぶん僕の精神状態がいいということだ。思い出せない時期は全く思い出せない。母との時間の前にXにブックマークしたネタを予習していても思い出せない。調子がいろいろあるみたいだ。
診察は既定どおりという感じだった。睡眠中のお漏らしをなくすのに寝る前の薬をなくしてもらうのと、頭痛対策でこめかみに塗る外用鎮痛薬を追加でお願いするのと、滞りなくできた。
薬局は人でいっぱいだったけど思いのほか早く呼ばれた。僕は自立支援医療とか医療費支援を受けていて、投薬の内容が自動的に決められた薬局に送られる。それが届いた順番で薬が出てくるらしい。昔は自分より後に入った人がどんどん呼ばれていって面白くない経験をしたこともあるけど、今日は逆だった。