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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-12-30 そこそこの日だった

寝起き

早朝4時に起きた。最初は先日の深夜11時半くらいに目覚めた。机に着いて寝起きの作業をいくらかやって、そのまま寝てしまった。変な日だ。

この本はどうにも難しい

ダイアローグ 小説・演劇・映画・テレビドラマで効果的な会話を生みだす方法」を読み進めた。コメディの分析だった。この本の著者はキャラクターの言動を妙に深読みしている。

何事も先に経験する兄に対して不満を言う弟に向けて「変えられないことをつべこべ言うな」というセリフがあり、著者はこれを「マゾヒスト呼ばわりした」と分析している。弟は必要もない苦しみを自ら感じているのだからマゾヒストだ、と言うのだ。僕にはそこまで感じられない。

僕は表面的な理解しかできていないのかもしれない。そう考えると能力的にどうすることもできず学びが進まない。

くよくよ

管理者をしているLINEオプチャを削除した件でまだくよくよしている。悪意を持った相手から身を守るのに最良の方法を取ったつもりではある。対決すべきだったと反省したけど、それは茨の道だ。痛手を負わず済ませる方法としては逃げるのが一番だった。

確かに傷は最も浅かったかもしれない。それでも僕は未だにグルグルと考えてしまう。一つには敗北感の問題だろう。逃げたのだから当然だ。そして理不尽に対する怒りもある。また、僕とあの人の間に入って仲裁した人に、2人の係争として扱われたことに不満がある。

悪口を言った相手に対して悪口を言わないようやんわり注意をした。すると悪口ではないと屁理屈をこねられた。加入当初、荒らし行為をしていたようなキチガイが屁理屈をこねだしたら追い出すか逃げるかしかない。追い出すためのシーケンスを進めているところだった。

発展的ないい時間

朝食のあとはしばらくボケボケしていたけど気を取り直して「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」を読み進めた。用語の解説だったけど得られるものがあった。この本を読むのは2回目で、最初に気になるけど分からず仕舞いだった「価値要素」というのが分かった気がする。

シーンや、シーンをいくつかまとめたシーケンスなどで価値要素が変わると説明される。無職から会社員とか、喜びから悲しみとか。つかみ所がなくて漠然としていたけど、読者の感情の変化と関わりがあると気づいた。

つまり主人公が無職から会社員になれれば読者はうれしい。主人公か喜びから悲しみに変われば読者は悲しい。こういったストーリー内で読者が感じる価値の対象を言っているように思う。

これは重要なことで、価値要素に変化のないシーンは不要とされる。この本は脚本術についてのものであり、つまり2時間映画を主な対象としている。2時間という短いなかで寄り道している暇はないのだろう。それに小説であっても面白さが凝縮されているほうがいいのだろうし、僕も価値要素の変化については作品制作に取り入れることにした。

余裕

昼食後、精神的な不具合から来る肉体的なダルさでぐったりしている。さっきは眠くなってコーヒーを飲んだし、カフェインが効いてくれば楽になるかもしれない。それにしても早朝枠でなくても本を読んでいいという気づきは大きかった。なにも禁止していたわけじゃないけど「早朝枠は本を読む時間」と決めていたので、なんとなく他の時間には読まないものだという意識があった。

関心のあることは小説制作ばかりだけど、小説制作に関する本ならいくらかあるので読み返すのも簡単だ。可能ならクレカの支払いの区切りがつく来月1日には新しい本を注文したい。でも今月使い過ぎたことで反省して「貯めてから使う」と決めごとをしたので、なんかな。

それはそれとして午後も本を読もうかと思う。他方で「本を読んで過ごすことができる」という保険があるので他の過ごし方を考えてもいいという気分になっている。なにさら思いつきはしないけど、そのことが問題になったりしないのはいいことだ。

理解の進み

サブテキストで書く脚本術 (映画の行間には何が潜んでいるのか) 」を読み進めている。サブテキストと呼ばれるものはロバート・マッキーが妙にうえんな解釈をするので取っ付きにくい存在だった。だけどこの本の著者リンダ・シーガーは分かりやすい例を示してくれた。

その例について書きだすと長くなるので別の言い方をすれば「終電なくなっちゃったね」だ。だけど少なくとも日本の僕の生まれ育った環境では、うえんな表現は意味を強調する。

「終電なくなったから泊めて」と直接的に言えば本当に泊まるだけという解釈が残っている。だけど「終電なくなっちゃったね」では逃げ道がふさがれている。「どういう意味か分かるでしょ?」と言外に語っているのだから。

他にも日常で含意的な表現をすると嫌みの香りをまとって意味が強調されることが多い。「私の履くスリッパがないんだけど?」のような。サブテキストはそういう使われ方をすると認識している。そこからするとハリウッド脚本術で言われるようにあらゆるセリフにサブテキストがあるというのはどうにも不自然に感じられる。文化の違いなんだろうか。

ただ無意識に別の意味が含まれる場合は別なのかもしれない。ラリーのように悪路を爆走する車中の助手席でのんきに「行き先に酒はあるんだろうな?」などと言えばキャラクターの常識感や普段どんなことをしているのか、おぼろげながら見えてくる。この例は演出として「クサい」と感じてしまうけど、もっと上手い方法もあるのだろう。

はるか昔への旅

森が語るドイツの歴史」を読み進めた。ドイツの辺りはローマ時代に大きく開墾されたらしい。中世ヨーロッパの初期は森が多かったイメージでいるけど、ローマが滅んでから森が戻ったのかもしれない。小さく頼りない村落が森に囲まれて点在していた初期中世ヨーロッパは、ローマ時代にあちこちに住み着いた町が取り残されて退化したのかもしれない。そのあたりは読み進めば見えてくるだろう。

この本はハードカバーでしっかりしているけど、紙もしっかりして厚みがあるのでぱっと見よりは内容が少ないのかもしれない。僕は読むのが苦手なので少ないくらいがちょうどいいんだけど。