寝起き
深夜2時に起きた。ぼんやりしている。昨日と同じで調子が出ない。何かしようという気が全然起きない。昨日ドカ食いしたナッツが腹に残っている感じがして満腹感があって苦しい。寒くてエアコンの設定温度を2℃上げた。
低調ながらスタート
プログラミングをしている。小説制作は気が重くてできないけどプログラミングなら作業を細分化して考えて、単位作業あたりの負荷感を減らすことができる。負荷感が減れば心が重くても取り組みやすい。このことは小説制作に取り組む上での救いとなるかもしれない。小説制作でも同じように作業を細分化して考えることで負荷感を減らして取り組みやすくできるかもしれない。余裕ができたらAIに相談でもしてみるか。
プログラミングではなんとなくコメントを追加していた。本当は小説本文が各エピソードごとにファイルに保存してあるものを1つの文書としてまとめるためのコードを書くつもりだった。そのために既存のコードを解析する必要が出てきたわけだけど、コメントが書いてないので分かりにくかった。プログラマーとしてのスキルを高める意味で、コメントを分かりやすく書くことは必須であると思い、取り組んでいる。AI時代になって不要になる気もするけど。
それにしても、作業する前は気分が沈んで廃人のようだったのに、作業をしているうちに少しマシになった。このことは生活に取り入れるといいかもしれない。人は(主語がでかい!)作業すると元気が出るのだ。簡単に取り組めるナニカを用意しておくのはいいことかかもしれない。
前向きに受け止めよう
ところで、キーボードのキーマッピングをいじって効率的に入力できるようにしたつもりなのに思うように行かない。ついこれまでと同じキーで入力してしまう。今のところ少しの思考を経て新しいキー操作をするより、反射的にこれまでの操作をしたほうが速いし間違いがない。
慣れるまで頑張るつもりだけど、生活の中の小さなストレスだな、という気がする。そういう希薄な毒のようなものは取り入れたほうが総合的に具合がいいんじゃないかという気もする。
希望
人と同じことをやってもつまらない。みんながまっすぐ進むなら僕は脇道へそれたい。創作者として歓迎すべき感覚だと思う。でも他方で、世間を仲間だと認識することから遠ざかっているような気がする。人はできるだけ大きな集団を仲間だと認識するのがいい。心理学者のアドラーに習ったことだ。仲間と認識しているなら少々の無礼も許せる。それができないから、他人からの干渉におびえたり反発したりする。
まぁ別に仲間と違う道を進んだっていいんだろうけど、それはそういう思いで行うべきだ。単に人と同じは嫌だなんて思ってしまうのは、自分だけは特別だ、みたいな感情が根底にあるような気がする。仲間意識を持ちつつ、それはそれとして自分の道を行きたい。
驚きの事実と学び
すごい! 小説制作の作業を細分化しようとファイルを開いたら城の名前を考えるとこで、これですら面倒くさい! もう細分化できないよ! 何事もダメなものはダメだと学んだ。
ライフハックとしての日記記入
今日も小説制作の気分じゃない。やってやれなくはない、かもしれない。でも世界観に浸かるのが遠いことのように感じられる。他人事みたいな感覚でアホくさい。
――と、そんなことを書くと「実はできるんじゃないのか」という気持ちが生まれて実際に手を出したりする。その効果を狙っての記述だった。ちょっと取り組んで少し書けた。でもしんどい。やっていて疲弊してしまう。今はそういうときなんだな、と理解するしかない。
金は貯まらないが
気分が沈んできてヤバいと思った。このとき寝ることに思い至っていればよかったけどそこまで至らなかった。コンビニで1000円ほどスイーツを買い込んで帰って食べた。気分が良くなったわけではないけど、食べる体験は快感だったし、そのときの僕は満足だった。
落ち着いたところで「いかんな」と思った。このときリバースすることに思い至っていればよかったけどそこまで至らなかった。エクササイズバイクをこいで、疲れないよう酢を飲んで、またエクササイズバイクをこぐ。焼け石に水という気がするけど、合理的な問題ではない。気持ちを楽にしたいのだ。
それで今、腹にぼってり溜まった感覚を味わいながらこの日記のこのセクションを書いている。
――それからしばらく。落ち着いてスッキリした気分になった。憑き物が落ちたような、と言うと大げさになってしまうけど、普通に戻れたような感覚がある。気づかないところでストレスが溜まっていたんだろうか。そう言えばここしばらく目の周りの筋肉がけいれんしていた。心身のストレスが原因とのこと。全く心当たりがない。もう15年以上のあいだ無職をしていて気楽なもののはずだ。毎日休みなく読書や小説制作をやっているけど、ボケボケしている時間のほうが長いと思うんだけどなぁ。でも結果は結果だ。何か考えないと。