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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-11-19 そこそこの日だった

寝起き

深夜2時に起きた。

ちょっとしたイベントだった

午前3時、昨日からやっていたプログラミングにけりがついた。僕が自宅内で使っている小説制作の補助サイトで重要な機能を担っている部分だ。結果としては、これまで200行かかって書いていた部分が10行で書けたという、うれしいような、やるせないようなものだった。

疲れた。プログラミングは小説制作よりよっぽど集中する。昨日は食事などを除いてほとんどプログラミングに費やした。小説制作より長続きするし。僕の性質としては小説制作より合っているのかもしれない。しかし他方で、あんなに寝食を忘れるようにして取り組むのは疲れていけない。

それにしても小説制作とプログラミングでは疲れ方が違う。小説制作で疲れると難しい思考を拒絶する感覚がある。それに対してプログラミングは自分の認識できない部分で疲労が溜まっているような感覚だ。やろうとすればいくらでもできるような気分だけど、実際には効率が落ちていると思う。

この苦しみは作者として?それとも読者として?

小説は、その何を読むものなんだろう、と思う。僕は好みに合わない作品がほとんどだ。小さなことにこだわらず大意を読むのだという。文庫本1冊10万文字を読んでみれば分かることがあるかもしれない。だけどそれは困難だ。

中には文字どおりの意味で「好みに合わない」だけで、面白い作品だと分かることがある。友人の書いた作品もそうだったんだけど、他と一線を画すものがある。でも、どうなんだろうか。僕は小説の何を読んでいるんだろう。上辺だけなのかもしれない。読み取るべきものが読めていないとしたら。よく分からない。

久しぶりの本文執筆

午前10時前で小説の本文執筆820文字。7時くらいから書き始めているので3時間かかったかな。遅い。ここまで書いて疲れを感じた。まだ続けられないこともないけど、やっていて気分があまりよくないので。

それにしても、つい情景描写をおこたってしまう。そんないっぱい書くと物事が進むテンポが遅くなるので今くらいでいいのかもしれない。

それはそれで病気なのかもしれないな

午後は久しぶりに日中に寝転がった。最近は精神的に調子がいいのでご無沙汰していたけど、戻ってきてしまった。なんか面白いもので「僕は調子いいのだから寝転んではダメだ」という心理があった。調子いいときはよくある構造だ。元気なんだから頭痛になってはダメ、みたいなことも平気で思ってしまう。思考のクセだろう。病気ではない。

そう言えば最近は机でキーボードを使うのにキーボードを2つ横に並べて手を両側へひらき気味でやっている。普通なら中央に向かって手を寄せるわけで「それより開いていたほうがいい」という言説を受け入れてやってみている。

本当は分割キーボードというのがたくさん製品として出回っているんだけど、僕はキーボードの中心にあるトラックポイントがないと生きていけない生物だ。そしてトラックポイントのある分割キーボードは存在しない。ならば普通のトラックポイント付きキーボードでどうにかしよう、となったのだ。

それで慣れてしまって、今ベッドに寝転がって1つのキーボードを使っていると腕を内側へ向けようと力が入り続けていて痛い。これは弊害だなぁ。

創作論をくれ

簡単に小説を書く方法はないものだろうか。単に簡単に書きたいというのではなくて、簡単な思考しかできない時間に書ける方法があったらうれしい。調子のいい最近でも早朝枠と午前中に2時間ずつくらいしか小説制作できない。なのに今は早朝を読書の時間に充てている。読書(実用書など)も調子のいいときしかできないから仕方ないんだけど。

ノープランで書いてみたこともある。だけどどこかで見たことがあるような展開にしかならない。それに少し進むと何を書くのか分からなくなってしまう。結局のところ僕はプロット作成で十分に構成してないと作品の意義を失ってしまう。僕は何を書いているんだろう?という感じだ。

プロットの要素を書き出しておいて、それを並べるだけで筋が描かれていくような方法とか考えたい。フレームワークと言うんだろうか。だけどそこまでの理解がない。苦心してやっと物語を紡いでいるのに、そんな俯瞰しているようなビジョンはない。

今ChatGPTに相談することを思いついてしてみた。プロップの昔話体系とかキャンベルの神話構造とか言っていた。前に読んだことあるやつだ。忘れていた。もうちょっと僕になじむような分類が作りたいけど今は気乗りがしない。でも元気なときは小説制作したいのだし、いつやるんだ、となってしまう。困る。