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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

ネット小説の新時代

読者に寄り添うのは当然で、極論すれば周知の言語で書かねば読まれもしない。伝えることが重要なんだから伝える努力はしないといけない。その延長線上に「読者の好みに合わせる」というのがある。これはつまり現状でウケている作風を取り入れることだ。

読者は似たような作品がひしめく中で微細な違いを見分けて楽しんでいる。文化には多少なりともそういう側面がある。様々な茶器が生まれたが、茶を入れる容器という意味で似通っていて、だけどその中に違いを見いだして茶器の文化は花開いた。時期によっては煮たようなガラを描いたものが流行ったかもしれない。

現代ではインターネットがあるから、似たようなものが人気を博す、という傾向が強いかもしれない。「これがいいぞ!」となるとみんなが群がり、群がりに向かって他の人も群がりだす。そうなると他の作風は見向きもされなくなる。彼らにとって面白いものはそこに集中しているし、そこにある面白さこそが欲しいのだから当然だ。

だがこの状況は危険をはらんでいる。作風の一極集中の崩壊だ。必ず起こる。成熟したものは老いて朽ち果てる。万物がたどるライフサイクルだ。そして朽ち果てるときに新たな種を残す。そこに新しい潮流の萌芽がある。このときは混迷の時代だ。群雄割拠だ。混沌は必ず来る。