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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2025-05-17 そこそこの日だった

目覚め

深夜12時半に起きた。ジュースが飲みたい。一昨日くらいから思っている。ドデカミンとか、ジンジャーエールとか、他にも甘いやつが飲みたい。ポンジュースがあればポンジュースが飲みたい。

早朝

うつらうつらしながら過ごした。何をするでもなく。何かを思考していた気もする。しばらくして体がダルくなってきて、寝床に横になって、そのうち寝た。起きたのは4時すぎ。

ここしばらく小説制作してないわけだけど

小説制作したくないわけじゃない。それより熱意が行方不明のような気がする。まぁ、そうであったとして、熱意の探し方なんて分からないんだけど。

うーむ。でもブログ記事を書く熱意はあったわけだし、熱意がないわけでもないのかな。分からないな。何も分からない。

こうやって小説制作ができなくなる事態が何度かあったけど、回復したときの経緯を覚えていない。そこにヒントがあるはずなのに。今回は記録しておく必要がある。日記とかじゃなくて、特別にそういう文書として。

他人の作品を読むことで劣等感が刺激されて書き始めるのかもしれない。でも劣等感が刺激されるような面白い作品には出会えないから困っているのだし、それは関係ないかもしれない。

やったけど

小説制作をした。百合のやつのプロットで定型作業だ。定型作業だったからなのか分からないけどイマイチ面白く感じない。やっぱり何かが僕の中で欠損している気がする。それは確かに熱意に近い何かのような気がする。

うつ病の調子ということも考えられる。うつ病というか、僕の基本的な精神状態と言うのか。んー、もしかしたら風邪をひいているのが関係しているかもしれない。分からない。

手持ち無沙汰だ

小説制作できないから退屈なんだけど、退屈が苦しいということはない。穏やかなものだ。だけど、まぁ、いまのこの感覚は退屈と呼ばれるものなんだろう。貧乏性だからなのか何もしないでいるのが、なんとなく気になる。だからと言って何かをするほどのやる気はない。プログラミングのネタだってあるんだからやればいいけど面倒くさい。困ったものだ。

ファミチキを食べたらいい気分になれるのでは、などと思う。というかフツーに食べたい。だけどどうせファミチキを食べた分の幸福感が得られるだけだ。そんなことに出費はできない。ファミチキを食べたことで気分が上がって小説制作できるようになる、くらいの御利益がないと。ファミチキは食べたいけど我慢だ。

しかし欲求を満たさない人生とはなんなんだろう。もちろん僕の欲求がファミチキだけということはないけど、小説制作の欲求を失っている今の僕にとって食欲はかなりの割合を占めていて、その中で今の狙いはファミチキだ。そういう状況にあって欲求を満たさない人生とは何か、という問題だ。

単純に考えれば、欲求を満たさない人生は地獄だ。欲求によって生きているのが生物だ。その西部の欲求を満たさないということは苦痛であり死だ。

まぁそこまででないにしても、今の僕にとってファミチキを食べないことは精神の死のような色合いを含んでいる。だけど食べたいからと食べていては家計的な死を迎えることになるだろう。

だけど、そもそも空腹から来る欲求は塩分の摂取で霧散させられる。塩水を飲んでしばらくして、ファミチキへの妄執が嘘のように消えた。

面倒すぎて無理

プリンタが壊れて買い換える資金もないことでプリンタの運用を終了したんだけど、用紙が余っている。500枚x8セットくらいだ。使い道はないし、売るのは面倒すぎて無理だ。というか仕舞い込んだ場所から引っ張り出すだけで面倒すぎて無理だ。まぁあって困るものでもないし今は放置でいいかと思っている。

というか、壊れたプリンタというのがカラーレーザーとモノクロレーザーなんだけど、吸い込みがダメになっているので、引っ張り出してひっくり返して吸い込みローラーを掃除してやれば復活するはずだ。1年くらいは使えるんじゃないのか。だけどそれが面倒すぎて無理だ。とにかく面倒すぎて無理なんだ。