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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2024-12-07 そこそこの日だった

1時半に起きた。眠い。母にもらったカシューナッツを食べた。いくらでも食べられる気がしたけど、袋の3分の1くらい食べたら満腹になった。カロリーが高そうだ。

わずかずつ進む

小説制作をしていた。百合のやつのプロットだ。プロット・システムの改造と、改造したことによる内容の書き換えをした。25エピソードあるうち11エピソードまで進んだ。箇条書き一つ一つの意味を考えながらやっているのでモタモタしている。そのうち慣れて理解が早くなるとは思うんだけど。

熱費と食費

貧しいので暖房代をケチるために厚着をしている。ダウンコートとか、ネックウォーマーとか、指ぬき手袋とか、そういうやつで。

ダイエットにこだわらず食べることも重要だろう。空腹では体が熱を出さない。食べるとやっぱ違う。三度の食事を普通に摂っていればいいのだろうけど、夜中の1時半に起きて活動し始めるなら食事が必要だ。

それに朝食では炭水化物を抜いているので、これを補わないといけない。朝食で炭水化物を摂ればいいのだけど家庭の事情でやすやすと変更ができない。それにしても電気代と食事代はどっちが安いんだろう、とか考えてしまう。買ってきて食べると高いんだよなぁ。

独裁バンザイ

LINEオプチャで論破されたことを未だに根に持っている。1ヵ月も前の話じゃないだろうか。交渉材料をそろえられなかったばかりに自分の意見を通すことができなかった。冷静でなかった。悔やむことはいっぱいある。それにしても腹立たしい。復讐したい。

論破というのはしてもされても面白くない。どちらにも正義があるなら落とし所を探る必要があるだろう。でも僕は一歩も引く気はなかったしな。だって管理者の忠告に煽りで返す人を副管理者にしろなんて、通るはずがない。正気の沙汰とは思えない。

そんなこともまかり通るのがディベートだのというやつだ。妥協せねばならないとしたら、それはそれでおかしな話だし。独裁政治をしたくなるのも分かる。

人生は酔ってなきゃやってられないのか

寝ていた。朝が早かったので朝食後しばらくすると眠くなった。起きたのは8時半。気持ちが素になってしまった。醒めている。小説制作なんて考えられない気分だ。心が動かない。むしろこれまで小説制作について多少なりとも心が動いていたのだということを感じている。

かなり考えた

僕は小説と日記では書いていることが違う。当たり前ではあるんだけど。

例えば行動を書く場合、小説では誰かの行動を順番に続けて書いていくことが多い。行動に注目して書いていて、一挙手一投足が話の中心になる。段落に文が5つあるうち5つとも行動が書いてあったりする。

日記でそういうのはない。一連の行動はおよそ1文に集約される。その行動に対して何を感じたか、考えたかが焦点だ。行動を書くと言っても行動の羅列にはならない。そうでなくては記憶に残らないか、書く意味を感じないかだ。

もてなし

恋人を楽しませる意味が分かった。

両思いでない場合、相手は好きでもない人と一緒にデートとかするわけだから、楽しませてもらわないと楽しくないんだ。両思いなら一緒に道を歩くだけで楽しいと思う。座って話をするでもよし。特段に楽しませる必要がない。そういう点で、「付き合ってください」で始まった交際では申し込んだほうに引け目のようなものがある。なかなか苦しい立場だ。

別の理由もある。持てなすことに意義を見出している場合だ。自分のほうが上位存在であり、大きな懐で下位存在の相手を楽しませることに喜びがある、というのだろう。僕はそう感じないけど、分かる心境だ。立派な家に住んでいて、下々の人を招待して持てなすのと同じものだろう。