cdnjsjsDeliverunpkgSelf hosted

カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2024-12-01 まあまあの日だった

1時半に起きた。昨夜は8時半くらいに寝たので5時間睡眠になった。早く寝ると早く起きるのかと思っていたけど、そうではなかった。久しぶりに、少しだけど、よく寝たかもしれない。

先は長い

小説制作をしていた。百合のやつのプロットだ。プロットのシステムの改造が終わらない。浴感がないといけないし、なかなか見えてこない。大変な作業だ。物語を理解するのに必要なことだから、やらねばならない。一通りの改造をやって運用してみてようやく終了となるだろう。百合のやつはそのパイロットケースと言える。

なかなか進まない

小説制作で簡単に書くやつをやっていた。こっちも制作の仕組みをいじっていた。なんか眠くなっていて、大した作業でもないのに時間がかかった気がする。ようやく作品自体の作業を進められる段になって眠気が我慢できなくなり、寝た。6時前のアラームで起きた。

正論のいけないところ

正論では考えが足りない。正論で押し通すのは暴力と一緒だ。人を納得させることができなければ対話と呼べない。人には感情がある。感情の問題を考えないといけない。考えて寄り添って、自分自身も柔軟に変化して、答えを出してやっと対話と言えるだろう。まぁ場合によっては相手の不理解が強すぎて対話にならない場合もあるだろうけど。でもそれは結局、対話になっていないのだ。対話を成立させるのは、難しいときがある。人生って難しい。

血糖値スパイク?

朝食後は小説制作の続きを始めた。だけど眠い。濃いコーヒーを飲むなどしてどうにか作業していたけど、なんとなく上手く考えられない。考える物事が考えるための台に乗らない感じがする。意識は少しくらいハッキリしているけど、思考がポワンとしている。夜と朝方に寝たので6.5時間睡眠だから眠くならないでほしいのだけど。

血糖値スパイクだろうか。血糖値スパイクは食事のあと一気に血糖値が上がって、それを慌てて吸収することで一気に血糖値が下がり眠くなることのようだ。つまり砂糖水を飲めば眠気が覚めるのでは。飲んでみた。あんまり意識がハッキリしてこない。でも眠気は取れたかもしれない。よく分からない。

っていうか、そもそも血糖値スパイクが起こるような朝食じゃないんだよな。野菜とハムだけだから。

だまされてやるか、というだまされ

Kindle本を買わなくなった。Kindle本を買うと自動で使われていたAmazonポイントが貯まるようになった。これまでポイントを貯める趣味がなかったのでポイントの意味を知らずに来たのだけど、分かってきた。

ポイントを貯めるとはつまり「買い物をする」ということだ。買い物をすることに「商品が欲しい」他に動機ができるわけだ。それと同時に「ポイントを貯めるためだから買い物をしてもいい」みたいな正当化の精神が生まれる。

買い物が楽しくなるという意味では消費者にとっても旨みがあるとは思うけど、なんかピンと来ない。だまされているとしか。なんていうか「販売者の口車に乗ってやろうか」という思いがあるとは思うけど、その気持ちになること自体が販売者の思うツボなのだ。

権利がない

「あなたに拒否する権利は認められていません」なんて言われると「そんなバカなことがあるか!」という気持ちになりそうなものだ。でもそういうのは普通にある。例えば正当な逮捕を拒否する権利はない。

著作権も著作物を個人が個人の範囲で利用することを認めていて、なので著作者がその利用を拒否する権利はない。なんか他の法律で拒否可能かもしれないけど。

柔軟とバランス

近所の文房具屋の電子看板をなんとなく眺めた。「銀行印」→「認印」→「スタンプ」などと変化していく。こんなもの設置しても大した宣伝にならないだろうに。看板屋にノせられて導入したんだろう。店主に経営の覚悟が足りないな、ダメだな、などと厳しい見方をしてしまった。

いかんな、と思う。

確かに、店主には一流企業の社長ような厳しい経営理念がないだろう。だけど誰もがそれぞれの幸せを願い、その都度の幸せをつかもうと一生懸命なのだ。そういう行いを「ダメだ」と評価していると人間性が貧しくなりそうな気がする。

上昇志向そのものはいいことだろう。だけどその価値観に合わないものを否定すると具合が悪い。堕落するのは、それはそれで具合が悪いのだろうけど、ある程度バランスが取れているものは許容すべきだ。

開眼すると何もしなくなるのでは

生物は基本的に何もしないで過ごそうとする。飼い猫や飼い犬がじっとしているのは、そういう性質と言える。生物が特別に「あえて」行動を起こすのは理由があるからだ。

なぜ食べるだろう。食べねば死ぬからだ。飢えがあるから、真逆の行為として食べる。なぜ眠るだろうか。寝ねば死ぬからだ。眠気があるから、真逆の行為として眠る。実際の行為には真逆の理由がある。

正々堂々を掲げるのは真逆の心理を持っているからだ。正々堂々と、あえて宣言しなければ、卑怯な行いに走ってしまうからだ。宮沢賢治があえて「慾ハナク」と書いたのは、自身が欲を持っていて、必死に抗っているからだ。

コンプレックスから解放されると人は何もしなくなるはずだ。釈迦やキリストが書物を残さなかったのはそういうことかもしれない。