朝
1時に起きた。眠い。コーヒーを飲んだ。眠い。しばらくしたら眠気が取れた。
明るい展望
小説制作をした。百合のやつのプロットだ。機械的に処理するフェーズが終わった。これからさらに話を作り込んでいく作業が始まる。まだストーリーの要素が足りない。ボリュームが足りない。もう1つか2つくらい出来事を作って追加する必要がある。難しそうで気が遠くなるけど、作品が作り込まれて、良くなっていくのだと感じるから、やりがいがある。
ミス
プログラミングをしていた。小説制作の補助サイトの修正だ。なんか文字数の集計が間違っていた。数えてはいけない要素を数えていた。その原因がどこなのか迷って困っていた。気づいてからはそれなりに楽しいプログラミング作業だったのだけど。
しかし、このことで集計が正しくなり、結果として執筆した文字数が6000文字も減ってしまった。まぁ減ること自体は困るものでもないけど、集計の順調な推移?が阻害されて残念だ。
敏感おじさん
47歳なんだけど、近年は苦を感じるようになったという思いがある。でも他方で自分を見つめる解像度が上がったような気もしている。それって、今まで鈍感で気づかなかった苦が分かるようになったのでは、とも思う。であれば、苦が増えた、と嘆いてばかりいるのも違うかという感じがする。もちろん、故障した膝が痛いとか、単に苦が増えたというのもあるけど。
気が小さいんだよ
小説制作のLINEオプチャで「エモい」を使ったら怒られちゃった。新しい語や新しい用法を嫌うことはしばしばある。保守的な心理だろう。厄介なのは感情が先に来ているけど、本人は自分の主義や論理に反すると思っていることだろう。
で、なんかエモーションという語は幅広い包括的なものなのに、それを理解しないまま使ってるのが愚かしく腹立たしい、というようなことだった。由緒正しい日本語すら意味を変えていくのに、外来語の元の意味なんて考えてもせんなきことなんだ。でも権威主義というのだろうか、「本来の意味」を強く重視する感情は僕にもある。
今回は、誰かが持っている強い感情に留意しないといけない、ということを学んだ。学んだというか、実感した。思い知らされた。あの人は怒っていて怖かった。高校生らしいけど、怒っていると怖い。
情けない
LINEオプチャで怒られてすっかり震え上がってしまった。怒っている人と対峙すると本当に手足が震えるほど恐れてしまう。気が小さい。これは困るし、情けない。こんなの修正できないだろうし、一生付き合うのだろう。格好悪くてイヤだ。
そういうのは繊細というのだから悪いことばかりではない、との慰めの言葉も世には存在する。だけど繊細な物事を感じ取れない実感があるし、他方で誰かの存在しない気持ちを感じ取ってしまって萎縮することがある。全然いいことない。たとえ本当はいい面が僕にもあるのだとしても、実感できてないのが問題だ。
しかもだ。9時くらいに怒られて動揺が収まらずたぶん午前中の間は繊細な作業ができない。今は寝転んで日記を書いている。もう午前中は終了だ。
あー。
日頃の言葉に助けられた
日頃バランスが大事とか勇気が必要とかXとかで言っているけど、今の僕がそのままの状況になっている。
僕が管理者をしているLINEオプチャでは僕が不満を持って苦しんでいるし、そもそも自宅で両親と折り合いがわるくて苦しんでいる。どうしてこんな試練を乗り越えないといけないのか。そんな必要がある未来が待っているのか。そんなのイヤだ。
でも勇気を持って立ち向かわないといけない。苦しいときを恐れていてはいけないし、苦しみが続く間にくじけてもいけない。そして時には休むことが必要で、そういうのはバランスが取れていないといけない。
日頃の言葉を僕は覚えていたから腐らずにいられると思う。言っていてよかったんだ。そんな気がする。
分からん
語「幸せ」の捉え方が人によって違うみたいだ。
僕は「人間の根幹で心地よく感じること」くらいの認識だ。人にとって幸せかどうかが一番重要で、幸せとは人生の総合的な感じ方だ。いろいろと問題があっても引っくるめて幸せを感じる、という状態があると思う。だから「たとえ奴隷であっても幸せなら問題ない」と思っている。
でもこの考えが共有できない人は多いだろう。奴隷はイヤだ、というわけだ。幸せはは感情の一部であり、そこだけ満たされても人生に不満を感じる。みたいに考えている人がいるようだ。
この認識の乖離はなんだろう。すごく変に感じる。それとも僕みたいな感覚はスピリチュアルさんたちのものなんだろうか。なんか頭がほわっとイっている感じの。僕自身にそういう認識がある。うーん。