カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2024-10-31 そこそこの日だった

6時前のアラームで起きた。すぐ朝食。眠い。頭が起きていない。普通の濃さのコーヒーを2杯飲んだ。徐々に頭が起きてきた。

ファミマ

母の血圧記録表をプリントするためにファミマに行った。もうウチに使えるプリンタはないからだ。ファミマの印刷機でプリントする手順には慣れてきた。おおよそ戸惑わずに操作できる。僕はこういう初めてのものをすぐに使いこなすのが下手だ。時間がかかる。使えるようになると人より上手に使えると思うのだけど、どうなんだろう。

領収書の取り出し口に前の使用者の領収書が残っていた。置いていくのもアレだし、ドデカミンを買うついでにレジに持っていった。レジでは困惑していた。誰の領収書かも分からないのだし当然か。でも僕にできる最良の行動はレジに持っていくことだろう。仕方ない。

レジのおばちゃんは「今日もタバコ?」という感じで聞いてきたけどとっさに断った。自宅にまだ残っているけど今日中には買いにいかないとなくなるので、買ってもよかったけどとっさに断った。ファミマに行くのは楽しいし。

まあまあの収穫

通院した。うつ病の薬は変わらず。現状のままで心の調子を整えるために生活の工夫をするのが妥当だと思う。エビリファイあたりを再度出してもらってもいいかもしれないけど、今回はまぁいいや。手元にエビリファイが残っていたらそっちで確かめるのが先だろう。

血液検査の結果が返ってきて、HbA1cの値が前回に続いて良かったので腎臓の薬がなくなった。どうも塩分の取りすぎで腎臓のもう一つの値が上がっていたようだけど標準の範囲内だった。最近は少し塩分を控えているので次回には下がるだろう。全体的に見て塩水を飲むのはOKが出たわけだ。

首肩こりに筋弛緩剤とボルタレンジェルが出た。筋弛緩剤はお漏らしが気になるけど、どうなんだろう。医師はこないだ僕がお漏らしして筋弛緩剤をやめたことを忘れているっぽかった。でも僕はなんとなく言わなかった。ボルタレンジェルは手で塗るのがおっくうだけど、まぁいいや。効けばいい。

何に人生を学ぶ?

人生を他人に学ぶのって意味あるだろうか? 基本状態で脳の快感物質が多めに分泌されている人が「人生は楽しいよ」なんて言っていても参考にならない。所ジョージに人生を学んでも意味がないのだ。というかむしろ間違った方向に進みかねない。注意が必要だ。

そういう個人の性質の違いで人生は変わってくる。およそ標準状態で脳の快感物質が多い人間が楽しく暮らしていると思う。基本的には成功者に学んでも仕方ないんだよなぁ。

ライフワーク

小説制作をしていた。午前から昼食をはさんで午後1時半まで。プロットなしのやつの第5話、書き始めだ。あまり進まなかった。主人公に何をやらせるか思いつかなくて。

ひとまずヒロイン側の事情を描きたいのだけど、エピソードの導入部は主人公から始めたかった。異世界の城に着いて最初のシーンになる。

読者を引きつけるには欲求と対立が必要だ。でも強力な欲求と対立を書き始めたら長くなる。適当なものを思いつくのが難しい。条件が十分に絞られていないからだなぁ。腰を落ち着けて考える必要があるだろう。ひとまず終了。

小説制作コミュニティに向けた投稿

最高の実力者は1人より複数のほうが緊張感を持って面白みが増します 三連星や四天王、五人衆とか十人の最高幹部など少人数がいいように思います 設定したからには埋めておかないとマズいわけですが御利益はあるのではないでしょうか

命名

「薄ら躁者(うすらそうしゃ)」という概念と語を思いついた。常に薄らと躁状態の人だ。こういう人はだいたい何があっても幸せでいられる。それでいて躁病のように日常生活が破綻したりしない。強い。