カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2024-10-13 なかなかの日だった

4時前に起きた。眠い。濃いコーヒーを飲んだ。眠い。

甘い汁が飲みたい。ざっくり言ってジュースが飲みたい。塩水を飲むのは飽きた。水道水は飲めない1L飲むと体が痒くなる。塩水である必要がある。

フィードバックを受けると面倒になる

またGitHubでフィードバックが届いている。4件目だ。なんで急にそんなことに。全部放置しているけど、いいかげんどうにかしないとマズいだろうか。

返事をしておいた。問題だらけだった。そんなに問題のあるプログラムだったら使わなきゃいいじゃない! もうほっといてよ! って思っちゃう。苦しい……。

今僕はショックを受けて混乱している。時間を置かないと対処できない。でも時間を置けば落ち着いてきて一つ一つ対処できるはずだ。それにしてもこのプログラムはブラウザのSafariに対応していない。最近になって気づいた。この問題を解決したら、他のことも上手くいくかもしれない。

たくましき心

暖房をつけてベッドに寝転んだ。承認欲求が高まっている。夜なんかも高まる。夜は体調が悪くなるからだと思う。今も精神的に具合が悪くてだと思う。心が満たされていないと承認欲求が高まるんだ。

承認欲求お化けになっている絵描きさんや物書きさんは多い。心に余裕がないのだろう。現代社会の闇かもしれない。世の中(というかX)では親切心も減っているようだし、みんな余裕がないんだ。金回りがいいだけでずいぶんと改善されると思う。金は幸せにつながるんだよ。

根本的に改善するなら精神修養が必要だ。自己肯定感が体調によらず持続して高くなるよう自愛を深めたり、問題に直面しても自分をあやして落ち着いて対応できるようにしたり。精神の体力みたいなものを増やす方向性と、自分の取り扱いの技術を高める方向性で、心を強くする。難しいね。

労すれば疲れる

昨夜LINEオプチャで自称中学生が「民主主義を強要する」ことについて話していた。皮肉めいて言っていたから論点がどこにあるのかよく分からない。ただ民主主義を信奉する人は多い。でもこういう観点には「人間が求めるのは幸福のみ」であることが抜けていたり、幸福を実現するために民主主義が必要であると考えていたりする。このあたりについてブログ記事「民主主義? それって幸せなの?」をさっき書いた。そうしたら疲れた。何もする気がしない。

こもごも

しばらくウダウダしていたけど眠くなったから寝た。寝る前はすっかり気分が低下してしまって不幸な思いがしていた。人類の幸福について考えると不幸な気分になる、という気がする。まぁ哲学的な考え一般だろうか。どうも向かないみたいだ。寝るのは1時間だった。10時前に目が覚めた。

ファミマでタバコを買うついでにドデカミンとウィルキンソン GO テイスティアップルを買ってきた。ドデカミンは一気に飲んだ。栄養補給だ。味わっている場合ではない。

今は悪くない気分だ。だけど上がっているでもない。むっつりしている。Perfumeをかけてノリをよくすることにした。よくなるといいな。

グチが社会構造に発展

小説制作のコミュニティに所属していて思うのだけど、技術の向上を求めて集まる人はない。男は自分のフィールド(特撮とか小説とは関係のないもの)でダベることが目的で、女は共感したりしてもらったりするのが目的だ。小説制作のコミュニティに集まる意味はない。単に自分のラベリングが適合しているから参加するのだ。

僕は勉強会と名がつくような堅苦しそうなところに参加したくはないけど、コミュニティには技術向上を求めている。自分の気づきを話したり他人の意見を聞いたりしたい。しかしそれは叶わない。この文章を書く中でそのことを痛感してアホらしくなってきた。コミュニティの一つは僕が管理者だからやめるのも難しいけど、もう一つはなぁ。ま、やめる必要はないからいいけど。

そういえば母は仕事について向上心の高い人だ。キリキリやって高効率で高品質な仕事をしたいようだ。周囲にそれを強要するから迷惑がられているらしい。「私たちはあなたとは違うので」と拒絶された話を腹立たしげに語っていた。こういう問題は僕は高校生の頃から認識している。部活やサークルで向上心の高い人と高くない人の間に溝ができるのだ。サークルで僕は責任者だったので多少気を遣っていたかな。

前述からすると他人のことは見えているのに自分のことは見えていないらしい。僕は異端な存在のようだ。普通の人は向上心が高くない。ムリせず生きたいのだろう。人生観が大きく違っていそうだ。政治的な話でいくとサイレント・マジョリティだろうか。このあたりのことはよく分かっていないと社会で失敗しそうだなぁ。

生き様

近くのイベントで買ってきた炊き込みご飯が昼食だった。母は僕がそのイベントを知っているつもりでいろいろと話をしてくれた。なんのことかたずねたりすると機嫌を損ねるので想像で聞いていく。どうも200軒くらいの規模で言う町内で夏の終わりにイベントをやっているようだ。そんな話は聞いていない。

そもそも両親にとって僕が人前に出ることは避けたいことだ。アラフィフのニートはみっともなくて恥ずかしいらしい。なので僕がイベントに参加する線はなく、であるなら教えることはしないし、教えないほうが都合がいい。それでいて母は僕が知っているつもりで話をするのだ。

なんという自己中。なんという厚顔無恥。だがたくましい。そうやって困難な人生を生き抜いてきたのだ。生き様を見せられた感じがする。なんというか、繊細じゃやっていけない厳しさが世の中にはある。今どきの人間が生きにくいのは厚かましくないからなのかもしれない。いいんだか、わるいんだか。

手書きコーナー

手書きをしていて

手書きからテキストデータに起こす技術が完璧になれば小説を手書きしてみてもいいかな、という気がする。執筆速度が著しく落ちるからサブプロジェクトみたいな感じで。文字起こししたやつをチェックするのは面倒なのでやりたくない。現状では僕のくせ字やらOCR技術の不完全さやらでムリだ。

生成AIに学習させるといい気はするけど、くせ字と言うだけあって統一的な崩れ方をしていないだろうから難しいのかもと想像している。未だそういうのが発表されないし。

キャズムを越えろ

小説制作のコミュニティで気になる発言があった。

絵描きの友達と食事に行って色々と指摘してもらった

流行りの作品の文体を勉強して真似て、媚びてみろ

イラストも流行りの絵柄や塗り方を研究して自分なりに真似ているから同じように字書きもやればいい

ブクマしてる作品を解体して構成を見てみろ

と厳しい言葉をいただきましたが真理過ぎました

要は読まれるためには読まれている作品のマネをせよ、という話だ。自分の好きなようにしか書く気がない僕には無縁のこと。でも「流行を研究する」のを怠っているのは事実だ。僕に必要ないことにせよ、一般的には必要なことで、僕はそれをやっていない。

一つでも作品を世に出せたら、僕は満足して次に進めるかもしれない。次、というのは自分の好きなようにではなくウケる作品を書くことだ。作家ならほとんどの人がやっていることを、僕もしたらいいように思う。でもなぁ、満足とともに成長が必要だ。

僕は世間でウケている「なろう的な作品」を見下している。であれば、僕にとって無価値なものに似せようと思えないのが人情だろう。なので、そこにある隔たりを越える必要がある。今の僕に存在しない価値観を得なければならないのだ。人生を懸ける大事業と言える。

だったら作品を一つ世に出すくらいじゃ足りない。たくさん書いてウケたりウケなかったりしないと(僕はウケる線しか見えていないけれど)。生きているうちにできるだろうか。僕にとっての小説制作は一筋縄ではいかない。