朝
4時に起きた。寝起きはよかったのだけど、考え事をしていたら疲れてしまった。朝食して眠くなってきて、コーヒー飲んで、頭部うっ血法をやって目覚ましして、体がダルいからベッドに寝転んだ。
目を閉じているほうが楽で、つい閉じてしまう。すると眠くなってきて……。今度はコーヒーとクエン酸水を飲んで、頭部うっ血法をやって、Perfumeをかけた。音楽があると気分が上がるなぁ。
大は小を兼ねる?
大きいことはいいこととされる。人間的に大きいことが美徳だとか、大きな山がありがたいとか、作品を見て深いと表現するのは深さのサイズが大きいということとかだ。
肉体の働きが重視される昔は体が大きいことがよかったのだろう。でも山は? 登るのが困難だからありがたみがあったんだろうか。
もっと根源的に何かあったりして? 分からん。
刺激が欲しかった
雑多な刺激が欲しい。
X
Xがちょうどよさそうだけど、Xは享受することにどっぷり浸かってしまって、湧き上がる思考やアイデアというのがなくなる。
素材サイト
画像素材のサイトではいろんな画像が見られて刺激になりそうなもんなんだけど、なーんか素材然としていて面白みがない。でも「いらすとや」は別だと感じた。生活感があって普通の素材サイトとは一線を画す。でも今の僕には合わなかった。というか僕が刺激を受けない状態になっているのかもしれない。
ニュースサイト
Google ニュースを眺めてみた。確かに刺激を受け取った。成功だ。でも僕が欲しいのは思考が湧いてくる刺激だ。ニュースそのものが気になって読んでしまうと、なんか違う感じになる。
試行錯誤していたら思考が動きだした気がする。なんでもかんでも「方法」を確立するのはよくないかもしれない。一辺倒になって、多様なアイデアが欲しいときには向かないんじゃないだろうか。試行錯誤を恐れてはいけない。明るい展望を持って常にチャレンジする気持ちが大切だ。
オチ
「昨日な、牛乳飲んでん」 「それで?」 「そんだけや」 「オチないんかい!」
オチがないと話をしたらいけないんだろうか。オチのない話はどう感じていいか分からない。分かりやすい面白みに欠ける。困るのは確かだ。
オチのない話を味わうには感性が要求される。なんでもない話題に自分なりに感じて受け答えするのだ。上級者向けだろう。上級者向けと言われると挑みたくなる。
だけどオチがない話をしてくれる人もいなければ、そもそも話をする相手がいない。だったら俺がオチのない話を書いてやるぜ!とすると読者になる人を困らせるだけだ。どうすれば。
希望すること
相手の髪がロングであることを理由にポテロングをあげても気持ちわるくならないくらいのイケメンになりたい。
TPO
小説制作の(Xの機能ではなく普通名詞の)コミュニティで日々発言をしている。今日は「恐怖が成長を妨げる」話をしようかと思った。自作品の欠点を指摘されたとき、受け入れて傷つくのが怖くて反発してしまう。反発しないまでも内心では受け入れない姿勢がある。と言いたかった。
でも僕の心理学に付き合ってくれるかは謎だ。僕にとっては身近な心理学も、世間的にはあまりしないようだし。ここの日記だと僕が一方的に書いているだけだからマシだけど、SNSとかの社交の場では芳しくない。
しずかな情熱
ひらめきたいとき、動物カメラマンになるといい。動物を追うのではない。自分自身が大自然になってチャンスを待ち受ける。
条件のない自由なひらめきは、求めると湧いてこない。焦れば焦るほど出てこない。自然体の心境でゆったりしているといい。それでいてチャンスは逃さない。待ち、の姿勢だ。
末
ウィルスをいっぱい集めると目に見えるようになるんだろうか。ウィルス粉。
あれ? 役に立つウィルスを開発すれば儲けられるのでは。マイクロマシンみたいなものかなぁ。
そうさ100%勇気♪
ゆったり構えるには多くの成功体験によって「きっと上手くいく」という感覚が養われるといい。苦境を何度も乗り越えた人は「今回もきっと大丈夫」と感じて泰然としているはずだ。
問題は「僕には成功体験がないから無理だ」と卑屈に決めつけてしまうこと。一歩を踏み出さないと成功できない。日々の小さな挑戦が前向きな自分を作る。勇気を出すのが決め手だ。
理性的
MarkdownエディタのTyporaを買った(2300円)。試用もせずに買った。勢いで買った。目的の使い方をしてみて、これは使えないな、となった。
あんなにファミチキを我慢しているのに、数千円を使うのは一瞬だ。衝動的にやってしまって、失敗する。試用したほうがいいと気づいていた。なのに無視した。僕は理性をスルーしたのだ。
理性は感情に勝てない。理性で判断したことを最終的に「よし」とするのは感情だ。理性的とは感情の判断によって「これは理性に従ったほうがいいな」となることだ。感情が理性を無視すれば、理性は役に立たない。
シャイ
僕はシャイだ。オタク趣味だけど僕のオタク趣味を人に見られるのが恥ずかしい。それどころか、本屋でオタク趣味な本を物色するのも恥ずかしい。台所でスマホを見つめているとき萌え絵が表示されていると両親に見られるんじゃないかと思って気が気でない。シャイなのは完璧主義だからだろうなぁ。
変わり続けること
成長するには難儀する。維持するにも難儀する。年経て衰えれば、同じことをするにも難儀する。僕らは一生難儀し続ける。救いがない気がする。でも前向きに、明日への変化を望み楽しめるなら、難儀しても苦ではないと思う。