😆
顔の絵文字ってなんだろう? しばしば表現すべき表情をしていない。「みんな頑張って!」みたいな話の最後に「😆」のような爆笑の顔が付いてたり。いい雰囲気にしたい気持ちはくみ取れるけど、どうなんだこれ、と思ってしまう。
顔の絵文字には、あまり意味がないのかもしれない。文章のニュアンスを和らげる緩衝語というのか、何かそんな感じで。僕が時代の流れに付いていけていない感じがする。
ありがとう
主婦の年収について論争があるのだとか。あるテレビ番組では24時間365日働き続けている計算をしたらしい。冷静に論理的に考えているのではなく「苦労を分かってほしい気持ち」が前面に出た主張だ。理屈で考えてはいけない。
他方で、しかし感謝しろと言われても、感謝しようと決意しても、感謝の気持ちが湧き上がることはない。そもそも感謝する心は生まれ育った環境に影響を受ける。今からどうこうするのは無理ではないにしても難しい。
それはともかく構造上の問題は2つある。
- 夫も妻も頑張っている自覚がある
- 文化的に妻の頑張りが認められていない
ここで2番目の打開のために妻は必要以上に強く出る。強く出たのが24時間365日労働しているという計算だ。こういうことになる理由は2つある。
- 妻の不満の気持ちが強い
- 穏当にやっていては夫は分かろうともしない
夫としては、穏当に主張されたのでは取り合う気も起きない。興味がないし、既得権益を侵そうとする動きに対面したくない。
また、夫としても頑張っている自覚があるので、自分より頑張っていると主張されたのでは認めることができない。男は論理的だなんて言われるけど、ここは感情が強い。
だったらどうすれば上手く話ができるのか、僕には分からない。前述したことを夫と妻が理解した上で腹を割って話をすればいい気はするけど。夫にも妻にも感情が絡んでいるので素直にはいかない。
制作者!
昨日の日記で僕はやはり表現者かもしれないみたいなことを書いた。あれは間違いだ。表現したいことなんてなかった。「表現したいこと=テーマ」として話をすると、僕は制作するためのネタとしてテーマを持ってきている。僕は「プログラミングするネタがない」とかわめいているけどこのネタを小説制作においては、どうにかひねり出している。
僕は表現したいものがある表現者ではなく、作っている過程が楽しい制作者なのだ。
提案⭐分類法
情報整理をするときの分類法を思いついた。次の2点に注目するのだ。
- 外的な分類 一般的にどう認識されているか
- 内的な分類 自分にとってどういう存在か
ここで例えば「鳥」について考える。外的な分類では「食材、ペット」となり、内的な分類では「研究対象」となるかもしれない。
しばしば外的と内的が同じになるかもしれないけど、ここは工夫のしどころだろう。見つめる視線の方向をズらす必要がある。
雑感
ここ数日は小説制作をしていない。何をしているかというと主に思索だ。なんとなく浮世離れして聞こえる。思いついたことを考えたり、ぼんやりしたりだ。Notionにかかずらったりもしているけど。これといって、やることを決めてやる、という感じじゃない。
うつ病の症状やなんかで苦しい時間がけっこうあったけども、今の気分としては有意義な時間を過ごしているように思う。小説制作ばかりしていては得られないいろいろがあった。自分はおおよそ具合のいい人生を進んでいるような気がする。
自動化したい
Notionの自作ポータルページにハマっている。スマホでXをしているときにアイデアを得たポストをポータルページに送りたいと思った。こういうのはIFTTTなどの自動化ツールがいい。試してみた。有料プランが必要とのことで約2000円/月がかかるらしい。高い。無理だ。
たかが2000円だけど、契約したいサービスは他にもある。生成AIも有料プランにしてみたいし、Notionも有料プランがいいかもしれない。先日はなんとなくXに課金したばかりだ。言いだせば切りがない。利便性は我慢しよう。たまに忘れるくらいでもいいのだ。
制作者!2
次のようにポストした。我ながら上手く言えたと自画自賛する。どこかに保存しておかないと。プロットありかなしか、という話は何度も出てくる。そのたびに自分がどうなのか言えなくてもどかしかった。でもこれを取っておけばいつでも言える。
僕がプロットなしに書けないのは、僕が表現者ではなく制作者だからだ
表現者は「湧き出すイメージを表現したい」という人だと思う
僕はまず「何かを制作したい」と欲する そのためにテーマを持ってきて作業台に据え付けるのだ そして制作するには設計図が必要になる つまりプロットだ