今日の日記の前夜 ――非日常
若干、ごく微細に拒絶されて落ち込んでいる。迷惑をかけてしまっていたので、僕が被害者面するのは違う。しかし僕の中で落ち込みが発生しているのは事実で。寝れば治ると思うけど。
復讐したくなるものだ。意地悪をしようというのではない。でも僕を拒絶したことで「ああ、こんな大事になってしまった!」と思わせたい欲がある。卑賤な欲だと思う。
それにしても、びっくりするくらい落ち込んでいる。というかパニックだ。弱いなぁ……と我ながら驚く。ガラスのハート? いや、シャボン玉だ。放っておけば勝手に割れるくらい弱い。
塔
部屋の中央に、底面が30cm四方で背の高い本棚が立っている。置ける壁際がなかったのだ。危なっかしくていけない。
壁際に置けば安全だ。正面から押しても倒れない。裏から押されることはない。それから隣に同じような棚があればやはり倒れる心配がない。
部屋の中を移動する動線で本棚付近を通ることが多い。なぜか通ると僕がふらつく。いつ倒れるんだろうな、という気がする。気がするも本棚を撤去すれば本を置くところがなくなるし、困るばかりだ。あまり考えないようにするのがいいだろう。
ファミチキとポテチ
ファミチキは200円くらい、ポテチは100円とちょっと。ファミチキは1分で食べてしまい、ポテチは5分かかる。(時間あたりの満足度を考慮しないとする)このとき「ポテチのほうがコスパがいい!」としてポテチしか食べないのを「コスパに執着している」と言えるだろう。
逆に「金はいくらでもあるからファミチキしか食べない」というのは「金に踊らされている」となるのかもしれない。
本来なら感性に任せて奔放に選ぶべきだ。でもそこで懐具合と相談しないといけないからバランスが重要となる。何事もバランス。
有名人に「さん」をつけるか、古今
最近は誰にでも「さん」をつけるようになった。学校で友人を「さん」呼びすることから始まり、有名人にも普通に使う。個人を尊重して敬称をつけるのだろう。「タモリさん」などと呼ぶ。
昔はつけなかった。「タモリ」だ。有名人は雲の上の存在で「さん」などつけると、まるで友達感覚で失礼に感じる。敬称をつけないことが有名人として尊重している態度となる。
今でも敬称をつけない有名人は多い。「織田信長」「カエサル」など。古くに死んだ有名人にはつけないはずだ。どちらかと言うと近くに亡くなった人にはつける傾向があるだろう。「坂本龍馬」にはつけないけど、「坂本龍一」あたりだとつけると思う。
宅内のPC管理
両親が共同で使うWindows 10マシンを手元の11マシンと交換する話をしないといけない。期限が来年の10月だからなかなか着手できないけど。
交換する前に手元のマシンはWindows 11を入れ直してきれいにする予定。Google ドライブと同期している実データが入っているし、無用なアプリも動作しているだろうし、きっちりしておこうかな、と。
交換した後の10マシンにはLubuntuというLinuxの一種を入れる予定。Windows 11が動けばそもそも交換する必要がないのだけど、じゃぁ他のOSは?となると軽量なものを選ぶことになる。よく分からないけどWindows 11みたいに古いCPUに非対応とかじゃないみたいなので、これで使おうかと思っている。
あー、でもSSDを最新のにしたいなぁ。