うわさに花
墓参りに行った母と、仕事から帰った父が騒いでいた。どこだかの墓は草がいっぱいだそうだ。どうしてそんなことにしておくのか、誰それは元気なはずだ、いや腰が痛いと聞いた、云々。えぇがな放っといたりぃな、と思うんだけど。
田舎は娯楽が少ないから~と聞くけど。確かに少ないのは少ない。でも満たされていないわけじゃない。テレビのチャンネルが少なくても母は録画したのを消化するのに大変そうだ。パズル雑誌を説いて懸賞に応募するのが楽しいらしい。父はYouTubeを堪能しているようだし。
田舎は知り合いの情報が入りやすいのだ。町中が顔見知り(言い過ぎ)みたいなところで、誰が何をしていたか筒抜けだ。都会でだって子育て仲間のうわさをパートナーなどに話したりするんじゃなかろうか。人間はみな同じなのだ。
穏やかな創作は堅実だった
小説制作で、ここのところ同じ作品を続けられている。以前は心身の状態が良かったことから一日中続けて飽きてしまうことがあった。また、新しく知ったハウツーによってそれまでの作品が陳腐に感じられて、やめてしまったり。そういう不幸に陥っていた。
最近は心身の調子が悪くはないけど優れてはいない、という感じ。午前中だけできる、みたいな。だから飽きにくい。それから、外から入ってくるハウツー情報が減ったのもいいのだろう。ハウツーを知っても後から追加できる技術なら作品を投げ出さないで済む。
わるくない、と思う。できれば午後は別の作品をちょいちょい進めたいのだけど気乗りがしない。ここは要改善ということで、のんびり対応していく。小説制作はそれなりにエキサイティングな時間だけど、大きく見ると穏やかな日々みたいな感じがする。
オードリー・タンをヘッドハンティングすれば!
起
日本以外のアジアで携帯電源にはUSB充電のバッテリーが便利なんだろうか。Amazonで中華なマケプレの商品はみんなUSB充電だ。僕は電池のほうが好きなんだけど。製品のデザイン性を考えるならバッテリーのほうがよさそうではある。
承
他方で、アジア諸国は流通の活発さが低くて電池は面倒なのかもしれない。日本なら単三とかだとコンビニでも買えるけど、外国だと電気屋まで行ってやっと単三が手に入るのかもしれない。それに電池よりバッテリーのほうが安いのかなぁ。どっちがエコなのかは分からないけど。
転
そういえば環境負荷がどうとか言いだすとさっぱり分からなくなる。結局のところ火力発電所と原発のどっちがエコなのかよく分からん。CO2排出量とマイクロプラスチックの問題は別々だから片方が良くてももう片方がダメだったり。消費者レベルで考えろっていうのはムリがある。なんとかして、賢くて偉い人。
結
オードリー・タンにお願いするしかない。
頑張っているはず
しばらく前に母から「家の預金が10万円しかない」と聞かされた。僕としては小説制作の収益化を急ぎたい。だけどこれまでも最速でやってきた。うつ病とかあるので他人の全力には及ばないけど、僕の最大限の力をつぎ込んできた。今以上に急くことはできないのだ。
これまでどおりやるしかない。心身の調子を整えて楽しい小説制作に打ち込む。つまり好きなことを好きなようにやっていく。でもそれでは努力している感覚がない。
努力のイメージは「やりたくないことを頑張ってやる」感じだ。いやいやしかし、これまでの自分を振り返って「やりたくないことをやる」のが無理なのは歴然だ。やりたくもない勉強をしようとすると教科書の文章の意味を理解できなくなる。単語は分かる。でも文として意味が把握できない。うつ病の症状にもこんなのがあるそうなので、脳のエラーなんだろう。
ということで、これは言い訳みたいな話だった。家計のために努力したいけど努力はできない僕の言い逃れ。
見た目
さっき「起承転結」という見出しをつけようとして思いついた。「起・承・転・結」としたほうが漢字が密集していなくて心やすい。フレンドリーだ。
小説を書くにも漢字が多いと重くなるとか言って気にする。僕のポリシーで書くといつも漢字が30%だ。程々だ。グッド。コントロールしたわけじゃなくて、好みで漢字とひらがなを使い分けたらそうなった。
僕は名詞と動詞の多くを漢字で書く。「灰燼(かいじん)」とか「翻(ひるがえ)る」みたいな難読漢字もルビを振ってでも漢字にする。だからといって漢字の割合は高くはない、というのがちょっと面白い。まぁ難読漢字は多く出てこないから影響が少ないのだろうけど。