朝
2時くらいに起きて、机に着いて、椅子に座ったまま寝てしまった。次に起きたのが5時すぎかな。ベッドで寝ればよかった。
午前中
この日記ってなんの役に立っているのだろう。読んでくれる人にしてみれば一種の読み物として多少なりとも有用なところがあるのだろうけど。僕にとって、というところで。過去には興味がないので読み返すことはない。でもたぶん、こうやって思っていることを文字にするのが気持ちいいんだと思う。単純に文字を書くことが好きなのかもしれない。
Xで見かけるポストからすると、僕を含めた僕らは進歩することをいいことだと信じている。それも闇雲に。信じる理由はない。世間で言われる理由は後付けだ。意味を成さない。進歩を信じる層にとって進歩はアイデンティティの一部なんだろう。小さい頃からすり込まれてきた考えだろう。進歩の有用性を否定するのではないけど、盲信していると見失ってしまうものもあるかな、という気がする。
小説制作していたらしい。op64の第7話の本文執筆だ。多少進んだだろうけど、満足した記憶は残っていない。どうも最近は調子が悪いみたいだ。何が悪いというはっきりしたものはないけれど、結果として出力される小説制作の進み具合がよくない。結局は睡眠がきちんと取れていないからかなぁ。分からん。
Xしていた。3時間くらいだ。
午後
Xし続けていた。退屈になってきた。頭が痛いし。午後はいかんなぁ。
今日はセデス・ハイが届いたので飲んだ。一回二錠のところ、まずは一錠でいいかな、と思って一錠にした。三十分くらい立ったけど効いた感じがない。なんだかな、と思いつつもう一錠飲んだ。それから一時間くらいして効いてきた。ビンビン効いてきた。でも頭痛はそれほど治まらない。なんだかな、と思っている。→
→痛みが引かないのになぞ効いているとするのか。僕は変な体質で、セデス・ハイが効いてくると幻の匂いを感じる。この匂いがビンビンしてきたから効いてきたのだと分かる。という具合だ。
爪を切らないといけない。また伸びてきた。キータッチの具合は今ぐらいがわりといいのだけど。
中学生の頃に三国志を読んでいたという人がいた。すごい!と思う。普通のことだろうけど、すごい。僕は大人になるまで自分が文章を中心とした本を読むという概念がなかった。実際には高校生の時に恋人に勧められて三冊くらいのラノベを読んだけど、自分から読もうとしたことは就職した後だった。それも三十手前くらいだ。出遅れているな、という気がする。小説制作をする身として出遅れている。取り返すことはできない。本を読むのは苦手だから。本をあまり読まないで文豪にならなければならない。過酷な道だ。
Xで観測するところによると、創作作業が楽しくない創作者がたくさんいるようだ。むしろ楽しめないことのほうが普通のように見える。物書きも、絵描きも、苦しみながらやっている。作品を書き上げて評価されることだけを目指して頑張っている。いびつな在り方だと思う。やめたほうがいいと思う。でもそっちのほうが普通なんだ、自分たちはこれでアイデンティティを築いているんだ、ということだろうから、やめろとは言えない。なんかモヤモヤする。→
→あ、でも「作業は面倒であるのと同時に楽しい」という絵描きさんがいた。賛同する声もあった気がする。それに宮崎駿が面倒くさいと言って作業している映像は有名だ。僕には理解できないけど、そうらしい。そのことを考えれば、本当は苦しいばかりではないのかもしれない。よく分からない。
総括
今日はイマイチだった。イマイチの中ではいいほうだった。