カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 2023-05-06

セロトニンがジャブジャブ出ているときというのか、覚醒しているときというのか、そういうときの僕は無条件に自己肯定感が高く、愛に目覚めたりする。全てが愛によって解決できることを悟るのだ。確かにあんな状態の人が愛について思いをはせている、そん人ばかりが世の中にいたらきっといろいろな問題が解決できると思う。ただ、現実には、僕がそんな状態になっていることは珍しいし、あんな状態の人が世にあふれていることもあり得ない。世間的にはあんな状態を指して「イっている」と表現するのだろうし、「愛が地球を救う」のは絵空事なのかもしれない。だけど状況を進めるカギは見えている。冒頭で書いた「自己肯定感」だ。「承認欲求」とも関係している。承認欲求という言葉は「承認欲求モンスター」のように誰かを批判する際に使われることが多い。または冗談めかして自分の承認欲求について語られる。真面目に取り扱っていないのだ。世の中のほとんどの人が承認欲求に突き動かされている。自分自身がそうであることに、誰もが真正面から向き合ったら、少しくらい世の中はよくなるだろうか。自己肯定感についても、怪しげな人が使っているイメージがある。メンタリストみたいな方向性の人たちだ。いや、メンタリスト自体がいかんのではないけど、ちょっとなんか怪しいメンタリストみたいな人たちがいる。そうでないにしろ、ちょっと毛色の違う意識高い系の人がファッションのように用いる語、という感じもある。どうも真正面から向き合う流れになっていない。このあたりが世間的なネックになっているなぁと感じる。僕自身は自己肯定感を高める活動として、まず自己認識からということでこの日記を書いている。瞑想はあまりやっていない。でもまぁ可能な範囲で無理せずやれている感じだ。地道な活動が必要だろう。僕は僕でゆっくりやっていくか。