カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr047 2023-04-11

父は不満の多い人だと思う。他人が自分の思いどおりでないと気が済まないタイプのようだ。思いどおりというか、自分と同じ価値観でないと受け入れられないところがある。会社でも自宅でも他人が思いどおりにならなくてストレスをため込んでいる。それを母に対してがなり立てるように訴えて発散している。自分のすることが迷惑だと自覚していれば、母に対してそうやって怒りをぶつけることもないだろうにと思う。

僕も父の思いどおりにならない人間の一人だ。ニートだから仕方ない面もあるけど老齢の両親からお金をもらって遊んでいる。僕も年金をもらってるけどローン返済に消えているのだ。父の人生は他人のために働きづめだ。中卒で家計のために働きに出ている。父の兄たちは高校まで出してもらっているのに。60~70年前の高校だから今の大学くらいの感覚だろう。大人になったら家を建ててローン返済のために遊ぶ金もない。僕を育てる金も要る。大学まで出してもらった。僕の手が離れる頃には安月給の会社に転職せざるを得なくなっていて苦しい思いをしていた。そして今75になっても働いている。年金は転職の関係で少ないらしい。そして息子の僕はニートの金食い虫。察して余りあるけど何もしてあげられない。お金を使わないことが一番の親孝行だとは思う。でも僕は僕の人生を豊かにしたい。いや、単に我儘なのか。僕は我儘な人間なんだよ。

そんな僕はまた本を買った。『自分の小さな「箱」から脱出する方法』というタイトルだ。人間関係が上手くいかないのは全て自分の中に理由がある、というような話のようだ。自己欺瞞が一つのキーワードになっているようだから、自分自身の心を直視することについて書かれている気がする。例えば「僕が父の言葉を鬱陶しく感じるのは、実は僕が父の愛を受け止められていないからだ」というようなことに気付けるのだと思う。こういう問題の「解決」について、僕らは問題の真正面や真反対にあるように思っている。つまり「父の支配欲が問題なんだ」というように。だけど、実際に「解決」に出会うとそれは自分が思っているのとははす向かいにある。僕が父の愛を受け止められれば、父の束縛についてありがたくさえ感じられるだろう。父に従わないことはまた別だ。だけど同じ従わないにしても僕の態度は変わるはず。今より良好な関係が築けると思う。

風呂に入って夕食を終えて自室に戻ると「疲れたー」となる日がある。何もしてないような僕でも疲れることがあるのだ。小説制作に疲れることもあるけど、疲れる日のおおよそは、うつ病の苦しみに耐え続けて精神的に疲弊しているときだ。風呂に入ると血行がよくなって自律神経が調整されるのかうつ病の苦しみから解放される。なので楽になって自室に戻ると、両親の目もないし「疲れたー」となるのだ。そんな声を父が聞いたら気を悪くするだろう。父は自分だけが疲れていると思っていて、まぁ父だけが働いてお金を稼いでいるわけだけど、自分だけが頑張っていると思っている。そして一番何もしていない僕が「疲れたー」などと口にしようものなら怒り心頭に違いない。はぁ、そういうストレス下で過ごすから僕は余計に疲れるのだけど。