カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr039 快感ファンダメンタル

食べるというのには、味わう快感と、飲み込む快感がある。両方がないと食べる快感というのは成立しない。味わうだけで吐き出してしまっては、味わっている間の快感はあるにせよ、飲み込まないことに虚しさを感じるだろう。また、味を感じることなく飲み込んでは、やはり虚しさを感じるはずだ。このあたりについて水を飲んでも快感はあるから、必ずしも「味覚」だけの話ではないのかもしれないけど。

古代ローマの貴族たちは食べるために吐いたのだそうだ。食べた後に吐いて空腹を取り戻してまた食べる。この文化でも食事は飲み込まないことには完結しないことが見て取れるだろう。

僕は飲み込む快感を欲しがり気味だ。味わうには味わうが、味わったと言えないくらい早く飲み込んでしまう。飲み込む快感が欲しいのだ。例えば味の濃い肉料理を口に入れ、それから米飯を頬張れるだけ頬張って、大して噛みもしないで飲み込む。飲み込む快感がたまらない。だけどこのことについて「まだ若いな」という感覚がある。

さる官能小説で若い男はがっついてすぐに最終目的に向かっていくが、年のいった者は時間をかけてゆっくりと楽しむから好きだ、というような女性が描かれていた。僕はまさにこのがっついた若者だ。目的を達しようと最短距離を通る。考えてみれば自慰行為でもそういうところがある。僕の精神年齢が幼いというのは僕の主観だけではないのだ。きっと僕は本当に幼いのだ。なんてことだ。老成された渋い大人になりたい。味わって食べるべきなのか。それは否だ。そのときが来れば自然とそうなる。今はまだ早いということだろう。背伸びしたら火傷してしまう。

一生がっついてたっていいじゃないか。それが僕だ。ありのままの自分で生きる快感を味わおうじゃないか。一瞬の快感にこそ人生があるんだよ!