カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.139 - 大げさ

2023-02-01 大げさはあまりいいことではない。大げさに言うと人を驚かしてしまうし、嘘になる。でも人を驚かせたい、というか喜ばせたいというような気持ちから大げさに言ってしまうこともある。人間らしい心のありようかとは思う。感心はしないけど理解はしてあげたいと思う。自分に対しても。大げさというのは大げさな反応というのもある。これも同じだ。あまりいいこととは思わない。でも大げさに反応すると相手は話をしていて気分がいいもののようだから、大げさに反応したくなる。まぁ大げさに反応しなければ無愛想になってしまうというのもある。無愛想にしていると相手に嫌な思いをさせてしまう。こういう考え方が自分を素直に出せないということなんだろうけど、いや、無愛想にして相手を嫌な気持ちにさせたいわけじゃないんだ。いい気分でいてもらいたい。難しいものだな。さて、大げさ。大げさといえば大げさな報道なんていうのもあるだろう。ちょっとしたことを大きく扱う。それも上述と似たようなところがある。大げさに言わないと誰もニュースに見向きもしない。大げさに言わないと商売上がったりだ。そんなに素で報道して食いつくような出来事は起こっていないのかもしれない。そんなことはないか。よく分からないな。大げさは商品の広告にもある。ある程度は規制で抑えられているけど、ここが一番大げさの温床なのかもしれない。売るために広告の絵はイメージです、というのを盾に言いたい放題なんじゃないのか。みたいな気がしないでもない。食品のパッケージに「美味しい!」なんて書いてあるだけで大げさなんじゃないかという気がする。そりゃぁ美味しいことが多いのだろうけど、ことさらに喧伝するほど美味しいことは希だ。だけど多くの商品でそういうような売り方がされている。いや、それがダメっていうわけじゃないけど。大げさだよね、という話で。それから大げさは、しかしこうやって大げさについて考えてみると世の中は大げさにあふれている。小説で描写するにしても大げさに言わないといけないし、とにかく大げさというのは処世的に必要なものなのだ。大げさがなくなったら世の中がつまらなくなる。みんなが弱気で表現を控えていたら、日々が面白く感じなくて灰色の世界になってしまうのかもしれない。それにしても、上述したけど、小説でも大げさが必要なんだ。僕が一番の趣味として取り組んでいるものは、大げさの真骨頂のようなものだったのだ。