亜鉛って、卑金属の代表みたいな鉛の「亜」なんだよね。鉛に次ぐ存在。ひどいよね。いや、そう言ってしまうと鉛に対してひどいんだけど。
ああ、退屈だ。コンピュータ関連のことしかしたくない。したくないけどネタがいくつもあるわけじゃない。プログラミングのネタもまだあるけど、なんか気乗りがしないやつだから、もっと面白いやつがいい。コンピュータ関連のことでも面倒なのは嫌だ。実用的、というか僕が小説制作や諸々のことで実際に使う機能をプログラミングしたい。ロジックを考えるのが面白くて、個人的に新規性があるといい。画面表示を考えるのは面倒だ。内部で処理することが面白い。そんなのが欲しい。
今日は新しい中古のノートパソコンが届いてセットアップしていた。1~2日はかかるかと思っていたけど半日であらかた使えるようになった。20年前はOSのインストールからやると1日じゃ終わらなかったんだけどなぁ。いい時代になったものだ、と思う反面、ネットワークに接続してないとインストールが進まない造りになっているとか不便になったこともある。マイクロソフトは何を考えているんだろう。
それにしても台所で風呂の順番待ちをしていると最近は退屈で死にそうになっていたというのに、目の前にパソコンがあるだけで気分が安らぐのだから、僕はパソコン依存症なのかもしれない。昨今はスマホ依存とかネット依存なんて言っていて、しようのない人たちだと思っていたのだけど、なんのことはない、僕はパソコン依存だったのだ。依存というのは健全じゃないな。パソコンから離れることを考えたほうがいいのかもしれない。難しい……。
コンビニに行くとき雨が降っていて「今日はため息の似合う雨の日だった」というフレーズを思い付いた。思い付いたんだけどクリシェ(ありきたりな表現)だな、とも思った。何も僕が何度も見聞きした表現ってわけでもないけど、不意に思い付くフレーズなんてクリシェに決まっている。頭をひねってひねって突飛な表現を思い付かないと、どこかあちこちで、いろんな人が思い付いて書いているのだ。でもそんなことを考えていると何でもクリシェに思えてくる。「今日の雨は世界から色彩を奪っていた」「通夜のように作り物めいた静けさが支配する雨の日だった」なんだかいいんだか悪いんだか分からない。
体が怠い。怠くてあまりよく考えられない。怠い話を書くしかない。体が怠いというのは精神的な婦長から来るものだ。精神的に調子がいいと疲れを知らないように元気でいられるけど、精神的に不調だと何もしてないのに体が怠かったり謎の苦しさがあったりする。いや、なんかこうなってくると人間は元々苦しさを持っているもので、精神が好調だとそれを精神力で抑え込んでいるのだ、みたいな気がしてくる。人生は苦、なのだ(仏教的な話です)。