カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr013 2023-02-13

随筆とは何を書くものなのかと考えている。思ったことを何でもいいから書くのだというような話だとは思うけども、どうも僕は僕自身のことについて書くきらいがあるように感じている。フリーライティングはテーマが決まっているから否応なしに僕以外の何かについて書くのだけど、何か思ったことを、と言われると自分のことを書いてしまう。あまり誰かを楽しませる趣旨で始まったものではないけれど、公開して多少なりとも読んでもらっているとなると、可能な範囲で面白くしたいと思うのだ。そこで考えるには、お前の話なんか聞いても面白くねぇよ、という声だ。だいたいにおいてコミュニケーションでは自分語りしすぎるのは厳禁だ。ここにおいても当てはまるんじゃないかと思うと、何かしら自分以外のものについて書いたほうがいいんじゃないかと、なる次第。でも、まぁいいや。あんまり気にしても書けなくなっちゃうし。

上述を書いているときに思ったのだけど「可能」という言葉は使い方で意味が変わってくるな、と。「可能な範囲でやります」と「可能な限りやります」だとニュアンス以上の違いがあるように思う。どちらも自分にできる程度のことをやると言っているのだけど、前者が気楽な雰囲気をしているのに対して、後者はやけに必死さが感じられる。言葉の面白さなのかな、なんて思った。

本を読む感じがしない。読もうと思わない。読んだらどうなのか、と自分に提案してみるが、気乗りがしない、と返ってくる。本来の僕の姿のように思う。僕は本を読まないタイプの人間だ。読んでいて面白くないというか、読むという行為がいい気分じゃない。こんな状態のときに無理に読もうとしても、何が書いてあるのか理解できていない感じがするのだ。紙書はたぶん三百冊くらいある。電書は千冊以上ある。読んでないのが多い。選り好みせず読むならいくらでも読めるんだけど。っていうか読まないくせによく買ったよね。いや、読む気分の時期のときもあるんだよ。そういうときは読む。だけど読書スピードが遅いからあまり読めないし、読めないうちに体調が悪くなったり気乗りがしなくなったりして捗らないんだ。読めない人生を歩んでいるんだ。なんてこったい。

ボイチャに憧れがある。ボイじゃなくてもビデオ通話?とかにも憧れがある。だけど人とのコミュニケーションは不得意だからする機会がない。する機会がないのにマイク付きヘッドホンやウェブカムを買っている。1万円くらいするのに、馬鹿みたい。悲しい男だ。

日本は世界のトップを目指すべきなんだろうか。単純に人口で比較するとアメリカの3分の1くらいだ。規模が違う。中国と比べれば10分の1にしかならない。中国はまぁまだ発展途上だから今は置いておくとしてもアメリカとの差を考えると、普通に考えて、抜けないよね。よっぽど優秀じゃないと。なんか高度経済成長の勢いの中でガーーーっとやっていた頃はまだよかったんだと思う。その頃はアメリカが日本に援助的だった面もあるのだし。独り立ちしようとしている日本が、世界のトップを目指してもちょっと苦しいんじゃないかな。いや、トップを目指すこと自体はいいんだけど、自分たちの立ち位置というか、規模的にそもそも不利なんだっていう理解が必要なんじゃないかな。そういうのが日本には欠けているように感じる。