カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.129 - 手書き

2023/01/27 手書きはちょっと苦手の意識がある。字が下手だ。ここ5年くらいは小説制作のために手書きで書くようになって以前よりは上手くなったと思うけど、依然として跳ねくったような字だ。大人として恥ずかしいという感覚がある。手書きは何かの手続きのときには必要だ。特に役所で何かするときだ。僕の場合はうつ病の関係で届けが必要なので毎年のように何かしら書いている。それにしても手書きの恐ろしいところは間違えると嫌な感じになるところだ。間違えていけないわけじゃないけど、間違えるのは決まりが悪い。まぁいいけど。間違えるのも一回ならまだいいけど、修正して書いたはずのものをまた間違えることがある。これは嫌だ。漫画の描写で、思考がぐしゃぐしゃの線で描かれることがあるけど、あんな気分だ。手書きはでもなんかいい気分もある。自分の字が下手な自覚はあるけど、他方で、上手く書けているような気分もある。上手く書いているつもりなのだから本人としては気分がいい。いいつもりになっている。そういえば、文字の右側が上がるのはよくないと聞いたことがある。でもつい右上がりになってしまう。癖というやつだろう。なかなか治らない。右上がりのほうが上手く見えるし。その目がよくないのか。よく分からない。ところで、「魔」という字が以前より上手くなった。人生で書いたこともないような字だったけど小説制作でファンタジーの小説を書くようになって、そうするとノートで思考する際に「魔法」と書くことが何度もある。書いているうちに上手くなってきた。以前は「ム」が右に飛び出していた。最近はちゃんと収まっている。まぁそんな成長もあるようだ。手書きは悩ましい。ラブレターを書くのがすごく恥ずかしい。手書き以外にあり得ないけど、手書きの下手な字で愛を綴るなんて恥ずかしいじゃないか。格好が付かない。字は上手なほうがいい。手書きで勉強すると頭によく入るという話があるけど本当だろうか。旧来の手書きの風習をパソコン入力より上位に位置づけたい旧来派の言っている間違ったことかもしれない。これはもう分からないな。手書きはまぁ気分がいいけど、やっぱ字が上手かどうかが大きなウェイトを占めている。そういえば父は字が上手だ。なんであんなに上手なんだろう。ブルーカラーなんだが。学校も家のために働くために中学しか出てないのに、まるで勉強ができる人みたいだ。もしかしたら頭はいいのかもしれない。字がきれいだと頭がよく見えるし、正確も信頼できるように見える。これは顔がいいと得をするというのと同じだろう。やはり美しいものは中身も美しいと感じてしまうのだ。そうだね。それで手書きは、近年慣れてきた。以前はだいぶ忌避していた。まぁ書くものだね。学生時代はとにかく書くことが多かったと思うけど、大人になった今のように思考が明確でなかったから、字を書くことについてもあまり気を配れなかったような気がする。