とりあえずすることがない。何もしたくない。書くことくらいはできるので書いている。何が書きたいわけじゃない。何を書くのか分からない。
だけど書くことができるというのは、僕は誰かと話がしたいのだろうか。僕は実はおしゃべりなのかもしれない。考えてみれば恋人とは打ち解けてよく話をしていた。くだらない話だ。僕は人と打ち解けるのが下手なので、神戸で働いていた10年間は話し相手といえば恋人しかいなかった。恋人がいれば十分ではあったけど。
僕の話を聞いてくれる人は少ないだろうと思う。まぁ相手に合わせて話をするから話を聞いてくれないということはないはずだけど。ただまぁ僕が素で話をできるのは気を許した恋人くらいしかいない。恋人だからといって相手にとって僕の話が面白いかどうかはまた別なんだけど。神戸で付き合ってくれていた唯一の恋人は聞いてくれていた。
僕はどんな話をするんだろう。あまり覚えていない。何かに突っ込みを入れるようなことばかりを言っていたかもしれない。例えば、丸い月を見てしばしば「満月だ」と言うけど、本当に月齢が満月なのかは分からないよね、みたいな話をしていた。なんてつまらなそうな話なんだ。
ところで、この文書のタイトルにある「gr」は「graffiti(グラフィティ)」から取った。これは落書きなのだ。それはそれとして、今回「落書き」をGoogle 翻訳で英訳して初めてグラフィティが落書きなのだと知った。これまで青春グラフィティなんてタイトルや売り文句を聞いてきたけど、知らなかったんだ。へぇ。
机に着いて執筆していると目の前にはモニタがあるがその下にはNASがある。今はバックアップ用にしている。NASにはなんだかロマンがある。データをパソコンの外部に記録してどのパソコンからもアクセスできるようにするのだ。まぁここでどんなに語ったってロマンが伝わるとも思わないけど。
僕は脂耳(やにみみ)だ。耳垢がねっとりしている。水っぽいのとはまた違って、皮脂というのだろうか、そういうので耳垢が練られていて、ぬたっとしている。綿棒で拭い取るわけだけど、なんとなくきれいになった気がしない。だから綿棒を水やエタノールで濡らして拭うときもある。しかし脂耳は掃除しないと垂れて出てくるからね。いや、流れ落ちるようなことはないけど。
情報管理アプリのObsidianを使い始めて、なんだか妙に入れ込んでいる。特に素晴らしいとは感じないのだけど、気分が乗る。文字の入力感でさえNotionやテキストエディタに劣る感じがするのに。まぁ今後機能が追加されるのだろうし、悪いものではないので、生き延びてさえくれれば使っているうちに手に馴染んだツールになるだろう。