カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 結果的にはまあまあ

3時に起きちゃった。昨夜は23時頃に寝たから寝不足なのに。なんとなく起きたくて起きてしまった。なんとなくタバコを吸ってしまうようなものかもしれない。ダメだなぁ。あまり思ってないけど。

昨夜はブログ記事を書いていた。MarkdownからHTMLに変換する機能を持った記事だ。難しいものじゃない。ちょろちょろっとコードを書けばいい。でも正体不明の問題にぶつかって苦労をした。解決はできたけど、何が原因なのかよく分からない。

さて、こんなに早く起きて起きながら何をするでもない。小説制作をすればいいのに、する気にならない。プログラミングをやり出すと気分がプログラミングになってしまって小説制作がいつまで経ってもできなくなるから気乗りがしない。とりあえずフリーライティングでもして様子を見ようか。

フリーライティングした。捗らなかった。テーマがちょっと難しかったのもあるとは思うけど、なんだかふわふわして穏やかな気分で、高揚感がない。ぼんやりしている。濃いコーヒーを飲もうかなぁ。胃に悪いしあまり空腹時に飲みたくはないのだけど。

ブログ記事を書いていた。はてなブログの記事内に仕込んだJavaScriptが動作しなくなった、という話だ。上述したブログ記事で、中に仕込んだスクリプトが今朝になって動かなくなっていたため、調査して結果報告した形となる。何も分からない、というのが答えだが。

朝食して何もしたくなくて、落書きしていた。文章を。それからよく分からない流れでカラースキームを決めていた。今後は配色をいちいち考えなくてもいい、という目論見だけど、さて、どうなるか。

僕は迷信や験担ぎをいくらか信じる質なんだけど、いや、信じ切っているわけじゃなくて、可能性として除外できないくらいに信じている。しばしば科学的見地から馬鹿げていると言われるけれど、本当にそうなの? 1000年前と今とでは科学技術に天と地ほどの差がある。100年前だってそうだろう。当時の人を愚かしく感じるかもしれない。だけど1000年後の科学技術を類推してみたらどうだろう。僕らの信じる科学技術がどれだけ稚拙なものか分かろうかというものだ。パラダイムシフトが起こりまったく想像もつかないことになっているかもしれない。それでも現代科学を妄信するのだろうか。クォークやボソンなんかより高いレベルで世界を眺めれば、違ったものが見えるはずだ。僕は科学を信じているし、科学の未来も信じている。だけど妄信はすまい。そのことが迷信を肯定するに値するわけじゃないけどね。

言いたいことを言った。もっと大きな声で言いたい。

随筆を始めた。随筆を始めたというか、うつ病のせいで無気力無関心になっているときの暇潰しとしてすることにした。どうも書くことはできるらしい。書いてみるとどんどん書けて今の段階で五千文字くらいになっている。分割して毎日投稿する予定だ。あの随筆が売れると濡れ手に粟なんだけどな。世の中そう甘くもないのだろう。

ブログ記事を書いていた。上述でJavaScriptが動かないと書いていたけど、プレビュー画面だと動かない謎の現象だった。console.logが表示されないのはコンソールにフィルタをかけていたからだ。heightって入力してあった。で、書けた。よかった。気分がちょっとよくなった。

今日はあまりいい日ではなかった。悪いというくらいに、芳しくなかった。朝から盛り上がらなくて、心が凪いでいた。そのわりに多くのことができた印象があって、満足感はまあまあある。結果的にはまあまあなのか。