カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.98 - ティッシュペーパー

2022/08/31 ティッシュペーパーはよく使う。まず鼻をかむ。僕は鼻のとおりがいいほうではないので夏場でも鼻をかむ。鼻をかむのはティッシュペーパーだ。他のもので鼻をかむことはまずない。ティッシュペーパーに他の使い方があるにしても、鼻をかむことが第一になるだろう。ティッシュペーパーの変わりは基本的には存在しない。まぁ場合によってはトイレットペーパーを使うこともあるけど。また、何かを拭くとなるととりあえずティッシュペーパーだ。机周りで何か拭くにもティッシュペーパーを使う。うちの家では台所で食事をするときにもティッシュペーパーを使う。口を拭いたりだとか。普通だろうか。よく分からない。よく分からないが、うちでは割と近年からの風習だ。ティッシュペーパーは水に溶けないらしい。トイレットペーパーと比較した際の話だ。比較しなくとも溶ける、といった感じはないか。だけどぬれると弱くなる。破れやすい。昔のティッシュペーパーの箱は大きかった。同じ150組入りでも今の箱の2.5倍くらい高さがあった。だからだろうか、今のように開けたては紙が詰まっていて引き出しにくいということはなかった。いつ頃からだろう昨今のように小さくなったのは。まぁしかし今は昔の懐かしい話ではある。ティッシュペーパーは二重になっている。ティッシュペーパーの箱にも150組300枚と書いてある。二枚になっているのには何か理由があるのだろう。一枚の厚い紙にしてしまえばいいような気もするが、製造上の問題があるのかもしれない。それとも一枚の厚い紙ではゴワゴワしたりするんだろうか。そう言えば昔聞いたことがあるんだけど「日本の紙の技術は高くて、海外で日本人が日本の紙で鼻をかんでそこらへんに捨てたら、紙のあまりの出来映えに外国人が拾った」というのがある。そこらへんに捨てるというのが昨今では感覚的に合わないため伝わりにくい話なんだけど、しかしいつの時代の話なんだろう。それにティッシュペーパーの話だったのかよく分からない。ググったら何か出てくるのだろうけど、今はしない。ティッシュペーパーはいろんなことに使った。と言うより僕にとってインフラ的存在、当たり前な存在であり、その利用方法は工夫によって無限にある。ミカンをむく際に中の皮?を取って受けるのにティッシュペーパーを使っていたこともある。昨今では枝豆の側を受けるのに使っている。僕は脂耳なので耳の入り口のあたりをティッシュペーパーで拭うことをする。それにちょっと手指を拭く際にはティッシュペーパーだ。けがをしたとき血を拭いたりするのもティッシュペーパーだし、かつては爪を切る際に切った爪を受けるのにも使っていたし、本にはさむしおりにしたこともある。ちょっと無駄に使いすぎなんじゃないかと思う。ティッシュペーパーでなければならない場合を除いて布など再生可能なもので代用すべきという気がする。ただ、洗うにもコストがかかるのでティッシュペーパーとどっちがサステナブルなのかは分からない。いや、それにしてもティッシュペーパーは気軽に使われすぎている(僕に)。ピクミンを連想させられる。ティッシュペーパーはけなげだ。好き放題使われて捨てられる。ほぼ100%捨てられる。捨てられるために生まれてくるのだ。まぁ人間の周りにあるものはなんでも利用されるために生まれてくるのだし、最終的にはなにがしかの形で捨てられるのだけど。とは言えティッシュペーパーのはかなさは際立っている。切なくなってきた。春を思い出す。春は半年先だ。半年先にもティッシュペーパーを使っているだろう。ティッシュペーパー・フォーエバー。