カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.71- 気が重い

2022/07/20 気が重いことは当然あまりやりたくない。手を付けたくないし、思い出したくもない。身に余る借金をしているのでお金の話は聞きたくない。収入の話は少ないからね。お金の話と言えば請求される話だ。はがきや封筒が届いている。開けて確認しなければならない。内容は分かっている。おおかたクレカの付帯サービスとかキャッシングローンの額が増えましたよという通知だ。別に恐れるようなことじゃない。いつもの通知だ。だけど気が重い。お金の話は聞きたくない。些細な気の重さもある。自作パソコンで出たゴミを処分するのが面倒くさい。なかなかその気にならない。間食のカップラーメンのカップとか、これは小さくカットしてゴミにしたいのでそのことも気を重くしている。他には山盛りになっているゴミ箱のゴミの処分も気が重い。ゴミを出せばいいというものでもない。家庭のゴミは母が管轄で、いっぺんにたくさん出すと小言を言われるのだ。いや、言われない。言われないんだけど、ゴミが一杯になったから別の袋を出そうって気はないらしく、頑張って詰め込むのだそうで、その手間をかけさせるのが悪い気がして気が重くてどんどん溜めてしまう。そもそもそのことでプラスチックゴミが溜まっていて、カップラーメンの空きカップを処理することができない。物事には順番があって、いっぺんには片付かない。気の重さが増していく。そもそもという話をするなら僕がニートに甘んじているのは会社に行くのが気が重くてできなくなってしまったのが原因だ。まぁニートでいることについては事情があってそんなに悪く思っていないのだけど、しかし気の重さが招いたニート生活ではある。自動車の運転も気が重くてできないでいる。こうして考えると気が重いことがいっぱいだ。人生は気が重いことだらけと言える。気が重いことをどう処理するか、というのは僕の生活の中で大きなウェイトを占めている。できるだけため込まないで、できるだけ簡単に、少しずつでも処理していけるように知恵を絞っているのだ。飲み終わった炭酸水のペットボトルは少しずつ、トイレに行くついでに部屋から持って出て、階下に下ろし、そして台所まで持っていき、最終的にラベルをはがして潰して母に渡す。少しずつやることで気の重さを最小限に抑えているのだ。こういうやり方を他でもやっている。もっと多方面に展開するのがいいだろうか。ゴミを捨てるのもそういうやり方にしようか。どうやるとできるだろうか。考えるのはまた面倒だな。ああ、気が重い。