カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

最近のこととか

はてなブログの記事をさかのぼって眺めながら長いこと私事の記事を書いてないな、と思いました。ここのところ毎日をせわしなく過ごしていることが多いように感じます。せわしないというのは気持ちの上で、でしょうか。小説制作の時間をどうにか作ろうと頑張っていて、小説制作ができないなら他の何か生産的な時間に費やしたいという思いが強いです。余裕がない気がしますね。もうちょっと余裕を持って、どっしりと構えて、ゆったりと過ごせたら幸福度が上がりそうです。

ちょっと未来を見過ぎでしょうか。先のことばかり考えて、自分の力を付けようと焦っているような感じがします。読書しようという強い思いがあります。いや、読書自体はいいと思うのですが、読書しないといけないという、やはり焦りのようなものがあります。なんにしても焦ってますね。こんなことしていてはいけない、なんて思いは焦りから来るものです。何が原因でそんな思いに駆られるのでしょうか。

そりゃぁ現状を見れば焦るのは当然なのかもしれません。今のままでは両親がいなくなれば生活保護を受けざるを得ませんから。というか、父が働けなくなった時点で僕の借金の問題が表面化しそうな気がします。不都合ですね。両親の溜めている預貯金を崩して払ってもらうしかありません。自己破産という手もあるでしょうけど、弁護士と話をしないといけない以上、両親にしれてしまい、結果として両親に頼ることになります。とにかく不都合です。

焦るのをやめても、同じような生活をすることになるでしょう。僕にできることと言えば小説制作や読書くらいしかありません。読書は精神状態を選ぶので、また可能かどうかという問題もありますが。それも含めて、まぁ、小説制作や読書、プログラミングとか、そうでなければアニメや動画作品を視聴したり Twitter でも眺めるか。でもここでアニメや動画作品の視聴、 Twitter を眺めるという非生産的なことをしたくない思いが強くて、どうしても忌避してしまいます。

いや、最近はアニメを見ることが増えたかな。他に何もできないならアニメ視聴になりますからね。それに「オーバーロード IV 」は好んで見ています。「ログ・ホライズン」も案外楽しめることが分かって見てしまうでしょうか。物語の解析ができるといいのですが。「ログ・ホライズン」はどうも見入ってしまって解析できません。これは第 1 話から見直しもあるかも。でもこの作品って僕の求めるものとかなり近くて、なんだか敗北感があるんですよね。この作品を視聴して、「よし書くぞ」とならない。ちょっと困りものです。

ところで、日々ビデオボードが欲しいと思い続けています。ビデオボードがあれば自作パソコンが動くかもしれません。新しい快適な環境が手に入るかもしれないのです。未だ可能性でしかないのは業腹ですが、サクサク動くパソコンがあれば何をするにも気分がいいでしょう。何より OS が最新のものが使えるところがいい感じです。僕は最新のものが好きなので。これから発展していく最新の環境というのは気分がいいものです。

さて、そんなわけで焦りを絶ってのんびりとした時間を過ごすことができたらいいですね。これについてもあまり頑張ろうとせずに、自然体であるのがいいのでしょうか。変に頑張ろうとするとひずみが生まれてしまいます。あるようにある。焦っているなら焦っているでいいのかもしれません。行き過ぎなければそれでよし、というくらいの心構えが必要なのでしょう。心の片隅に余裕を持つことを覚えておいて、可能なように、できるようにやっていきますか。