カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.65 - 田舎

2022/07/16 僕の住んでいる地域、つまり生まれ育った地域は田舎だ。日本にありがちな田舎だと思う。田舎のいいところがない、田舎。都会から人と物を取り去ったような田舎。自然豊かな農村という訳ではない。いや、確かに自然豊かではある。そこらへんに草が生えている。土手を走る道の端には草が生い茂って草刈りをしないと大変なことになる。自然と親しんでいると言えなくもない。でも例えば神戸六甲の森林植物園のような体験はできない。身近な山に入り込めば簡単に遭難してしまう。布引ハーブ園だってない。そういった体験ができるのかもしれない里山が身近にあるわけではない。中途半端にコンクリートアスファルトに覆われた、中途半端な田舎。そりゃぁ里山なんていうようなところでは近所にスーパーがあったりしないだろうから、今の生活はその中途半端な田舎の恩恵を受けているのだろう。でも同じスーパーが近いのなら都会の方がいい。都会は簡単に出掛けることができる。田舎は車何十分も運転しないと出掛けられないのに。都会は近所づきあいを気にしなくていい。僕が半軟禁状態になることもなかっただろう。僕は都会が好きだ。まぁ神戸しか知らないし、神戸がそんなに都会なのかというとそうでもない気がするけれど。まぁそれで、だから僕は今の生活には不満がある。引きこもりだからあまり関係ないんだけど、いや、都会に住んでれば出掛けることだってあるさ。そもそも田舎というのは今の日本にとって負債だ。田舎にあっても人口が確保できるならいいのだけど、田舎というのは公共投資のコスト対効果が悪い。もうちょっと中核都市に集まって効率をよくして活性化しないといけない。限界集落に数人を都会から呼び寄せたからといって何になるというのか。本人は満足なのかもしれないが、そこへ続く道路を維持するのだって費用がかかる。電気を送り、水道水を送り、下水道を引き受けないといけない。教育や医療にだって気を遣わないといけないけど十分ではない。都会の方がいい教育や医療を受けられる。田舎や都会という話を置いておいても人間というのは集まってこそ力を発揮する生き物だ。集まることを放棄するのは賢明ではない。集まらないことを選ぶ人がいてもいいと思うが、田舎に家があるから田舎に縁故があるから動けない、というようなことではいけないと思う。