カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

世間に横恋慕

クリスマスも年末も正月も関係ない生活は、うつ病になってからの 14 年でしょう。ともに楽しむ友人や恋人はいませんし、外出するのも 1 日 1 回近所のコンビニにタバコを買いにいくだけです。両親と暮らす自宅でも簡略化が進み、食べ物にちょっと変化が出るくらいです。

年間行事と縁のなくなった僕にとって世間の喧噪はしかし透明には見えません。無関係なら透明なガラスの向こうのことだろうに。どうしても斜に構えたように見えてしまいます。何でもないことに大げさに騒いでつまらないことを。なぜそんなふうに見えるんでしょうか。

僕は年間行事と縁がなくなりましたが、無関係ではないのです。僕の横恋慕のようなものでしょう。縁がないのに、僕もみんなみたいにワクワクしたいんです。あのキラキラした光景や喧噪を感じて、仲間になりたいのです。だから、気持ちにトゲが生えてしまう。

僕のこの消化されないままの気持ちはいつまでも続くのでしょう。差し当たって消化せねばならない必要性もない。まあ些細な問題です。本当に僕の心が萎えてしまって、全く関心を示さなくなるまで、世の中を斜に構えて見て鼻で笑うような、横恋慕は続くのです。