Wikipedia の項目「アカシックレコード」によれば冒頭に次のように書かれています。
アカシックレコードは、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。
未来については書かれていないですね。へぇ。ま、それは置いておいて。
書物ではない
後の解釈の中で書物のイメージが出てくるかもしれませんが、とりあえず書物ではないようです。それはそうでしょう、情報量が多すぎて本の体裁をなさないはずです。フィクションの中で本の形で登場するとすれば、それはアカシックレコード本体ではなく、アカシックレコードを読み取るための端末と理解したほうが自然です。
原型ではない
Wikipedia での印象からすると出来事が記載されていくのであって、出来事がかシックレコードに従っているのではない、ということです。昨今の宇宙物理学では、我々の世界はどこかからの投影である、つまり原型があるという理論があります。アカシックレコードに似た概念ですが根本的に異なっています。このあたり、未来が予測可能かどうかという立場の違いによっても扱われ方が異なってくるでしょう。
そもそもは
Wikipedia では近代神智学の概念とされていますが、読み進めると古代インドやらの話が出てきて、アカシックレコードという認知ではないにせよ、かなり古くからあった概念のようです。経験したことのないことまで知ることができる、という悟りの境地なんだとか。同じような考え方はユングの集団的無意識として存在しますし、アカシックレコードとは案外に現実的なものだったのかもしれません。
ファンタジーでどう扱おう
アカシックレコードと言えば我々にとってファンタジーの存在が全てでしょう。ここでどう扱えばいいか、そりゃまあ自由です。でもできるだけ陳腐化しないでほしいなーと思います。アカシックレコードとは、それはそれは重大な何かであってほしい。それに特別な言語で書かれていて読めるのは限られた人、みたいな雰囲気付けの設定も欲しいですね。
ちなみにこんなものが
僕が書いた世界を表す図です。何をおも表していませんけどね。