カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

僕の推敲にまつわる日記的な話

推敲なんてするつもりありませんでした。これまで書いてる間に気になって読み返してちょいちょい手を入れていたので、あえて推敲という時間を設けなかったのです。面倒だというのが大一番にありますけどね。

推敲しています

今書いている作品では推敲しています。というか、ここ数日が推敲の時間です。毎日するワケじゃないし、一日の内のほんの短い時間ですけど。本人にその意識がないにせよ「推敲」という行為を行っています。

なぜなのか

まず、次の作品を手掛けていないから、書いている内に気になって読むことがないからです。次に、作品を友人に読んでもらうつもりでいるのですが、お願いして読んでもらう手前、手抜きみたいなものは見せられませんよね。

理由は他にも

昨今、書くのに時間を掛けています。時間を掛けるというか、書かない時間が多いというか。作品が出来上がるのに時間が掛かっています。そうなるとプロットの部分で問題が見付かったりするワケで、手直しにつながります。でもこれは推敲の時間に意識してやるべきなんでしょうね。文章的な推敲と、プロット的な推敲と。

プロットを無視することがある

プロット的な推敲が必要になったのは事前に作ったプロットを無視することがあるからです。プロットがちょっと手抜きになってるのかも。悪い傾向ですね。僕は細かいところまでプロットを作るので、可能な限り完璧なプロットを作らないといけないのに。短編を書くつもりでやってるからプロットが荒いというのはあります。ちょっと短編をなめてますね。

ぐだぐだの中で書く

そんな感じで完璧じゃない小説制作の過程を経て書いているわけですが、小説制作とはそういうものだと思うようになりました。完璧を目指しても仕方ないのです。完璧じゃなくても、とにかく書かないと。存在しない栄光に憧れて過ごすより、出来が悪くても実在する原稿を相手に苦闘するのが現実的です。